(今回の投稿から、3回ぐらいに分けて、昆布だしの味に関係する話を書きます)
味を表現する際に「キレが良い」などと言うことがあります。
そもそも「キレ」とは何でしょうか。
明確に定義することは難しいですが、「どれだけ後味が尾を引くか」を指し、つまり味が後を引かずスッと消えるようであれば「キレがある」と表現されるようです。
実は、だしの世界でも「キレ」という言葉が使われることがあります。
しかし後味の持続も、その性質によって良し悪しが変わってくるでしょう。
あまり好ましくない味であるなら、すぐに消えてくれた方が良いでしょうけれど、逆に良い後味であるなら、それは「余韻」として味わっていたいものですね。
「キレ」という言葉が最もよく使われる場面は、お酒の世界です。
「ビール」「日本酒」「ワイン」、この三つの酒について、「味のキレ」の観点から考えてみたいと思います。
【ビールの場合】
まず、ビールの本場として真っ先にイメージされるのはドイツでしょう。
ドイツには、本当に豊かな味わいのビールが多く、文化的な懐の深さを感じます。
それに倣い、日本でも多くのメーカーが醸造を始めた歴史かと思いますが、日本のビールは、言ってみれば「独自進化」してきたものだと言えるでしょう。
その代表的なものが、日本発祥の「ドライビール」です。
1987年に「アサヒスーパードライ」が発売され、他メーカーも続々とドライビールを発売し、それは「ドライ戦争」と呼ばれるような熾烈な販売合戦になりました。
「アサヒスーパードライ」は、今でも定番ビールとして販売されていますね。
そもそもドライビールとは何かと言えば、明確な定義はありませんが、だいたい下記のような特徴を持つようです。
①原材料として、麦芽を少なくして、米やコーンスターチなど副材料を高めに配合。
②新開発した醸造法や酵母を用いてアルコール度数を高めにする。
③味わいとしては、「キレ」や「辛口」が特徴。
「アサヒスーパードライ」も、別に何も悪いものではありませんし、ひとつのプロダクトとしては非常に良くできていると思いますが、私には何かビールというより、「アルコール入り清涼飲料」のようなイメージにも感じられます。
「味わう」というよりは、一気に流し込んで「喉で感じる」ような傾向もあるかと思います。
かつては平気で行われていた「一気飲み」などの、乱暴な飲み方に適したビールだったのかも知れません。
「アサヒスーパードライ」のウェブサイトには、「さらりとした飲み口、キレ味さえる、いわば辛口の生ビールです」と書かれています。
どうやら「キレ」と「辛口」、この二つは遠くない価値観のようです。
また、ビールと発泡酒のカテゴリーの違いは麦芽の使用量によるものです。
つまり、ドライビールは麦芽割合を少なくしているので、発泡酒寄りだと言うこともできそうです。
【日本酒の場合】
アサヒスーパードライは「キレ」と「辛口」だということですが、「辛口」は、ビールよりも日本酒に用いられがちな言葉でしょう。
居酒屋さんなどで日本酒を選ぶ際、「辛口でお願いします」と言う方がいます。
辛口のお酒は「ツウ」であり、甘味のある酒は「初心者向け、子供っぽい」というような、不思議な認識を持つ方は今でも意外にいるものです。
言ってみれば、「辛口信仰」ですね。
これは、日本酒が辿った不幸な歴史も関係しています。
戦中戦後の米不足の時代、食べる米すら足りていない中で、ふんだんに米を使った酒など、作れるはずがありません。
そこで出てくるのが「三増酒」と呼ばれるようなまがいものです。
純米酒のもろみを薄めて酒をつくるわけですが、醸造アルコールに加え、様々な糖類や酸味料、うまみ調味料などを加えられます。
味としてはベタベタした甘さのものが多かったようで、その反動として後に、端麗辛口でキレのある酒が過度に評価された傾向があるように思います。
【ワインの場合】
ワインは外国のお酒ですから、当初は日本人に理解されなかったとしても不思議はありません。
特にワインに含まれる渋味や酸味などは、日本酒とかなり傾向の異なる味ですから、違和感を感じる日本人も多かったはずです。
そんな背景で、日本酒の三増酒のように、輸入したワインを水で薄めて醸造アルコールを加え、他の副原料を添加するタイプの「ワインもどき」が生まれます。
明治40年に発売されたサントリーの「赤玉ポートワイン」などは、その代表例でしょう。
ポルトガルで伝統的につくられたきた本物の「ポートワイン」とは全くの別物ですが、渋味や酸味がなく甘く味付けされた「赤玉ポートワイン」は大ヒット商品になりました。
そんな「甘口ワイン(もどき)」の時代から、徐々に辛口のワインも理解されるようになったことは良いのですが、それが行き過ぎて、伝統的な甘口ワインまで「キレが悪い、初心者向け、子供っぽい」と考える人も出てきたように思います。
三種のお酒について考えてみましたが、なんとなく似たような傾向があるように思われませんでしょうか。
味の評価も、世相を反映しているように思います。
特に外国の文化については、初期段階には理解が浅くなってしまうのも仕方のないところですね。
今では、豊かな味わいの日本のクラフトビールなどもたくさん作られるようになりました。
日本酒の辛口信仰がバカバカしいと考える人も増え、以前のように吟醸酒が過度にもてはやされることもなく、自然な甘味があるお酒の良さも理解されるようになりました。
過去に投稿しました「ヴィナイオータ」さんのナチュラルワインなどは、言わずもがなです。
実に豊かな広がりのある長い余韻を感じるワインが非常に多いです。
「キレ」「辛口」などと言った薄っぺらい価値観でなく、時代とともに、だんだん理解が進んできたのでしょう。
他の調味料などでも、実は似たような傾向を見せるものもあります。
甘味をつける用途で、特に清涼飲料水などには「ぶどう糖果糖液糖」が多用されますが、これは砂糖よりも「キレがよい」と評価されています。
人口甘味料とて同じです。
お酢を例に取ると、良い酢は豊かな丸い味わいですが、安価な大量生産品はただ酸っぱいだけで、しかし見方を変えればシャープでキレのある味わいと評価することもできるわけです。
こんな状況を、どのようにお考えになりますでしょうか。
私共は昆布屋ですので、だしの味を見るわけですが、構図は似ています。
大阪では古くから昆布の味わいとして、「辛口」や「キレ」でなく、うまみと甘味を兼ね備えたものが求められてきました。
その一方で、プロの料理人さんでも「だしの味のキレ」に言及される方もいます。
「夏には、清涼感を感じられるように、だしをキレのある味に」などと仰る方もありますが、それは冬場との比較の相対的なものでしょう。
強烈な力を発揮するうまみ調味料全盛のこの時代ですから、「ベタベタしたうまみ」、はそこらじゅうに溢れています。
その一方で、自然の素材だけで、相対でなく実質的に「暑苦しい味のダシ」など、存在するでしょうか。
こんぶ土居では今後も、「良い余韻に浸れるような豊かな厚みのある味わい」を追求します。
だしに「キレ」なんて本当に必要なのか、よく考えてみる必要があるように思います。
(次回、【昆布だしの味 vol.2/3】魯山人を鵜呑みにしないで(だしの取り方) に続きます)