こんぶ土居店主のブログ

こんぶ土居店主によるブログです。お役に立てれば。

地域性と独自性を考える ~ らくだ坂納豆工房 ~

 

前回投稿↓の続きです。

konbudoi4th.hatenablog.com

 

前回の投稿で、日本の伝統食品である納豆ができる仕組みについて書きました。

ご紹介した通り、市販されている納豆は、稲わら由来の菌でなく培養された菌が使用されているものがほとんどです。

 納豆製造会社さんが使う納豆菌は、選抜され培養された納豆菌ですから、優秀なのです。

何も問題ないと思います。

ただ、「菌のテロワール(※)」なんてことも最近よく聞かれるようになってきました。

 

ひとことで納豆菌と言っても、非常に多くの種類があり、まだ発見されていない納豆菌も無数にあります。

しかし、一般的に納豆メーカーが使う菌は、主に「宮城野菌」「成瀬菌」「高橋菌」の三種だと言うことです。

(※テロワール(Terroir)とは、「土地」を意味するフランス語terreから派生した言葉である。 もともとはワイン、コーヒー、茶などの品種における、生育地の地理、地勢、気候による特徴を指すフランス語である。 同じ地域の農地は土壌、気候、地形、農業技術が共通するため、作物にその土地特有の性格を与える。)出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

これでは、どこのメーカーの納豆を食べても、似たような味になるのは致し方のないところでしょう。

それが悪いというわけではないのですが、多様性はないですね。

 

 

 

そんな中、こんぶ土居のすぐご近所で、面白いものづくりがスタートしています。

歩いても10分くらいの距離に「味酒かむなび」という飲食店があります。

ミシュランの星も獲得しておられる、素晴らしいお店です。

そのかむなびさんの新しいお仕事として、なんと納豆の製造業を始められました。

その名も「らくだ坂納豆工房」の「谷町納豆」です。

https://www.facebook.com/rakudazakanattou/

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こちらの納豆の特徴は、なんといっても、稲わら由来の納豆菌だけで発酵していること。

このように、容器の中には、大豆と共に藁が数本入っています。

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この納豆が、とても美味しいのです。

使っている大豆の良さもあるかとは思いますが、稲わら由来の納豆菌だけで発酵させていることも、大きく関係しているでしょう。

かむなびさんはお店で日本酒を提供されますから、醸造蔵とのお付き合いもあって、日本酒の原料として使うお米の、良い藁を手に入れられるそうです(大阪の能勢の「秋鹿」の酒米も作る有機農業「原田ふぁーむ」さんのワラ)。

であるならば、この「谷町納豆」は、その酒米テロワールが活きた納豆と言えるのかも知れません。

それは、純粋培養菌では出せない良さでしょう。

ひょっとしたら培養納豆菌は、「おいしい納豆ができる菌」ではなく、「製造しやすい菌」なだけなのかも知れません。

可能であれば、是非この谷町納豆を食べて、一般的な納豆との違いを感じてみて下さい。

 

 

納豆以外の発酵食品でも、同じような動きが徐々に盛んになってきているように思います。

最近では、自家培養酵母(一般に言われるところの天然酵母)でパンを焼く方は、プロアマ問わず、たくさんおられますね。

日本酒の蔵元などでも、協会酵母を使わずに醸すことをトライする方なども現れてきたようです。

私の知り合いですが、北海道の七飯町で山羊を飼う山田農場さんは、無殺菌乳で自生乳酸菌を使ってのチーズづくりを続けておられます。

少し調べてみますと、エシレバターのウェブサイトにも、「発酵を促す乳酸菌も昔から受け継がれています。エシレバターは、テロワール(土壌)の賜物なのです。」との一文がありました。

純粋培養された菌が悪いというわけでは決してないのですが、それと別の価値観である「独自性・地域性」のようなものがあるなら、それは小規模な食品生産者の生きる道なのかも知れません。

 

 

 以前にもご紹介したイタリアのナチュラルワインのインポーターの「ヴィナイオータ」さんのウェブサイトには、下記のような表現がありました。

 

自然に対して畏怖の念を抱いているのなら、自然環境に最大限の敬意を払った農業を心がけるでしょうし、ヴィンテージやテロワールなど、その年、その場所、その土壌の“自然”が余すことなく反映されたワインを理想とするのなら、醸造時に過剰な介入はしないでしょう。

不思議なことに、このように造り手が“我”を捨てて、その時、その瞬間の良心に従ってできたプロダクトには、唯一無二の個性が付与されます。

年の個性、土地の個性、品種の個性、そしてヒトの個性…

 

 

特に安全性に関わる事は、人間が厳しくコントロールすべきでしょう。

しかし、ヴィナイオータさんの言うように、過度な介入をせずとも問題ない製品ができる場合には、「できるだけ自然に」つくった方が魅力的なものになるようにも思います。

そこから生まれる変化を「製品の品質が安定しない」とネガティブに捉えるか、「個性のうち」と捉えるのか。

どちらでも良いとは思いますが、ガチガチにコントロールしようとするのは、少し難があるのかもしれません。

 

 

私共の昆布屋としての仕事とて同じでしょう。

安全性は最優先事項ですし、できるだけ品質も安定させたいです。

それでも、それが「過度」でないように注意しながら、こんぶ土居の個性、大阪の伝統食の個性が感じられる、ヴィナイオータさんの言う「その時、その瞬間の良心に従ってできたプロダクト」をお届けしていきたいと思っています。

 

納豆、見事な微生物コントロール

納豆は日本人にとってありふれた食品ですが、先人の素晴らしい知恵が活きたとても面白い仕組みによってできています。

厳密に言えば、「先人の知恵が活きていた」に近いかも知れませんけれども。

 

 

納豆菌は、非常にありふれた菌で、いたるところにいるようです。

特に多いのが稲わらで、米を主食とする日本人には身近な菌です。

 

昔ながらの納豆の製法は、蒸した大豆を稲わらに包んで発酵させるわけですが、普通そんなことをすれば、発酵と言うより腐ってしまうのではないでしょうか。

ここに、納豆菌の性質を活かした素晴らしい仕組みが関係してきます。

 

細菌は、ふつう熱に弱いものです。

食品衛生のための殺菌方法でも、その主を為すのは加熱殺菌です。

例えば大腸菌なら、60℃で15分、サルモネラなら55℃で10分、黄色ブドウ球菌なら60℃で2.5分の加熱で、といった具合で、ほとんどの菌はある程度の高温で死滅します。

 

 

しかし、一部に熱に強い菌がいるのです。

それらを「芽胞菌」と総称します。

例えば、食中毒の原因となるボツリヌス菌は、芽胞を形成し、120℃の高温で加熱しないと死滅しません。

つまりグラグラ沸いている熱湯の中でも死なないのです。

そして、納豆菌も芽胞菌であり、同じ性質を持っています。

 

 

伝統的な納豆づくりの際には、蒸した大豆をそのまま稲わらに包むのでなく、一旦熱湯で茹でた稲わらを使います。

こうすることで、稲わらに付着するほとんどの種類の細菌は死滅しますが、熱に強い納豆菌が選択的に生き残り、他の雑菌の影響が少ない条件下で発酵することができるわけです。

昔の人は芽胞のことなど知らずとも、稲わらを熱処理すれば腐敗しないことを経験的に学んだのでしょう。

 

しかし、今では日本で製造される納豆のほとんどは、このようにして作っていません。

例えばスーパーやコンビニへ行って、売られている納豆の原材料表示を見て下さい。

「大豆、納豆菌」となっているはずです。

つまり、稲わら由来でなく、培養した納豆菌を菌メーカーから買ってきて添加しているわけです。

これは、伝統的な製法とは違いますが、決して悪いことではありません。

 

そもそも、いかに事前に稲わらを熱湯処理をしようとも、他の細菌の影響をゼロにすることはできないでしょうし、納豆菌と言っても種類があるようで、どの納豆菌が発酵に関わるかは未知数です。

それに比べて、販売用に培養した納豆菌は、言わば納豆づくりの理想に近い選抜された菌です。

安定して良いものができます。

安全性についても、品質安定についても、間違いなく稲わら由来の菌より培養菌が上です。

 

上である「ハズ」なんです。

しかし、そこは食品の奥深いところ。

おいしさの観点からは、理屈通りになるとは限りません。

 

次回の投稿では、納豆などの発酵食品を例に、食品のおいしさを形作るものの複雑さについて書く予定です。

食品の仕組みの理解が進み、味覚センサーなどの感知機械も進化していますが、まだまだ自然と人間の感覚の活躍する余地は残されているようです。

 

(次回投稿↓へ続く)

konbudoi4th.hatenablog.com

 

 

ヤイリギターとこんぶ土居(後編) ~「品質は最高なんだ‼」一辺倒からの脱却 ~

前回の投稿「ヤイリギターとこんぶ土居 (前編)」の続きです。

 

ヤイリギターさんの社訓は

「高品質より我ら生きる道なし」

です。

 

こんぶ土居も同じように考えて、ものづくりを続けてきました。

今後も同じように続けます。

 

こんぶ土居が追求した高品質とは具体的に何であったかと言えば、

①おいしさの面で高品質(明確な基準で選択した良質な原材料を使用)

②安全性の面で高品質(食品添加物を一切使用しない)

この二点に集約されるかと思いますが、将来その「価値」が目減りしていくのではないかと心配しています。

 

 

①の「おいしさ」については、昔と比べて食品製造技術が進歩していますから、一般的な安価な製品でも「まずいもの」なんて、もはやありません。

特別おいしくなかったとしても「まずい」と断言できてしまうようなものはないと思います。

 

②の「安全性」についても、古い時代には、食品添加物や農薬などの薬品の害によって、大変な健康被害が出た事例も多々ありました。

しかしそれとて、「黎明期に十分な理解がなかったから」と考えることができるかも知れません。

実際に、過去には命に係わる重大な食品事故が頻発しましたが、最近はそんな話はほとんど聞きません。

つまり、理解が進んできたのでしょう。

 

 

共に素晴らしいことです。

人の理解と技術が進み、まずいものがなくなって、食品に含まれる薬品よって健康を害すリスクが軽減したのですから。

 

 

こんぶ土居が取り組んできた

「安全で良質な原料を使うことでの高品質」は、時が進んでも、価値を無くすとは考えていません。

しかし、無くなりはしなくても、価値が「目減り」するだろうと思うわけです。

こんぶ土居製品が、美味しさや安全性で優良であったとしても、平均的な製品の品質向上によって、差が縮まってくることが考えられます。

 

 

 こんぶ土居が近い将来に確実に直面する主な脅威は、下記のようなものでしょうか。

①環境悪化による良質な原料昆布の不作、調達困難

②食品テクノロジーの進化による、安価な大量生産品の品質向上

③高齢化の影響で、こんぶ土居のものづくりを支えた良質な製造原料生産者が、今後急速に廃業や事業縮小の見込み

(昔ながらのものづくりを支えた団塊の世代、またはその少し後の世代は、人口ボリュームゾーンであり、今後10年ほどで大量に仕事を引退し一気に従事者が減少します)

 

これら以外にも、細かいものを挙げれば、ほんとうにたくさんあります。

 

 

ヤイリギターさんも、同じような構図ではないかと想像します。

例えば

〇環境の悪化や、林業従事者の減少によって、良質な木材の調達が困難になってきたり

〇良質な木材に引けを取らない音を奏でるギター用新素材が開発されて、特に木にこだわる必要性が薄れたり

〇AIやテクノロジーの進歩によって、熟練の職人の技術を越える精密な木材加工機械が生まれたり

 

 

 

産業革命以後は、「誰かの仕事が別の何かによって代替されてきた歴史」と考えることができるかと思います。

これは別の言い方をすれば「淘汰」です。

私たちの仕事も、常に淘汰圧に晒されています。

古い時代には、食品生産の仕事は例外なく小規模でした。

それが今ではたくさんの巨大食品企業が存在するわけですから、その裏で多くの作り手が淘汰されてきたことは間違いありません。

今後、その流れが元に戻っていくことは、普通に考えれば起きそうにありません。

その淘汰を過度に悲観するのでなく、新しい時代に対応した「新しい価値」を提供できないのなら、「そうなって当然だ」と捉えるべきでしょう。

 

 

先日、化粧品業界の専門誌「現代粧業界」のインタビュー取材を受けた際に、終わり際に色紙を渡され、自分の仕事について何か書くように頼まれました。

座右の銘でもなんでも良いから書いて下さい」と言われ、悩んだ挙句、

「常に問う、社会的意義のありやなしや」

と書きました。

 

問うているわけですから、明確な答えが自分の中で出ていないわけです。

社会の変化によって、ある価値が目減りするなら、別の意義を加えるしかありません。

これまで通りの姿勢のものづくりは続けつつ、どんな新しい価値を提供可能か、しばらく考え続けることになりそうです。 

 

(了)

ヤイリギターとこんぶ土居 (前編) ~ 勝手に抱く親近感 ~

 

下手の横好きですが、少しギターを弾きます。

若かりし頃に初めて買ったアコースティックギターをずっと愛用しているのですが、岐阜県可児市で手工ギターをつくる「ヤイリギター」というブランドのものです。

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このヤイリギターさん。

ものづくりの姿勢が、こんぶ土居と似ている気がして、勝手に親近感を感じています。

 

 

例えば。

良いギターづくりは、良い木材探しから始まるのです。

木材は乾燥するにつれ歪みが生まれますから、十分に乾燥していることが精度の高いものづくりに欠かせません。

そのため、ヤイリギターでは5年以上の歳月をかけ自社倉庫で十分に自然乾燥させた木材を使うそうです。

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これは、昆布に求められることとそっくりです。

 

近年の状態化した大不作によって、幻の高級品となった白口浜の天然真昆布。

にも関わらず、こんぶ土居の店頭では、現在でも平気な顔で販売しています。

これは、こんぶ土居が十分な在庫を持って営業をしてきた証左であり、安定供給の目的と共に、熟成による品質向上の意味でもありました。

 

 

『良いギターづくりのために、十分な木材を自社で保管し、自然乾燥させるヤイリギター』

『良い昆布をお届けするために、十分な原料昆布を自社で保管し、熟成させて使用するこんぶ土居』

このそっくりな構図が、私がヤイリギターに親近感を感じる理由です。

 (※ギター木材の「自然乾燥」とは、機械乾燥でないという意味です。乾燥の方法が品質を左右するのは、昆布も同じです。また機会があれば、別投稿でご説明します。)

 

 

ヤイリギターの掲げる社訓は、『高品質より我ら生きる道なし』です。

こんぶ土居も、言わば同じ考えで営業してきました。

良い製品をつくるには、良い原料を使い、正しい手をかけることです。

 今後も、これまでと「同じ考え方」でものづくりを続けますが、その一方で、「同じ考え方のみ」では早晩行き詰まりが生まれるようにも考えています。

その理由や、こんぶ土居が進むべき道について現在考えていることを、次回の投稿で書きたいと思います。

 

 

私のギターの腕前は正にズブの素人ですし、品質に関して十分理解しているとは言い難いと思いますが、初めて買ったヤイリギターをとても気に入って長く使っています。

ご興味あれば、ヤイリギターのものづくりの精神が書かれたウェブサイトもご参照下さい。

www.yairi.co.jp

 

 

 

 

 

 

だし昆布に切れ目入れる? よくあるご質問

 

たまにお尋ねいただくご質問の定番

「だしを取るとき、昆布に切れ目を入れた方が良いんでしょうか」。

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切れ目を入れた方が良い気がするのは、ハサミを入れた断面からだしが出るイメージによるものでしょう。

お気持ちはわからないでもありません。

しかし、昆布のだしは断面のみならず表面全体から出ますので、特に切れ目は必要ありません。

 

 

切れ目があるものと無いものの味の差を確かめるには、良い方法があります。

 仮に切断面からだしが出るのだとすれば、断面が多ければ多いほど有利だということになります。

それなら、ハサミで昆布に切れ目を入れる際、できるだけ細かくするとよいですね。

その細かさを極限まで突き詰めると、昆布は粉末状になるはずです。

つまり、切れ目を入れていない昆布と同重量の昆布粉末を用意し、それぞれのだしの味を比べればよいわけです。

 

実際に昆布の粉末を煮出し、沈殿している粉末を濾しとったものを見ると、少しドロドロした感じの見た目で、いかにも強い味が出ているように見えるかも知れません。

しかし切れ目なしの澄んだだしと比較して、特にうまみが強いようには感じません。

不思議なものです。

むしろ、おいしさに関わるもの以外の成分がたくさん出ているように思います。

ご興味あれば、実験してみて下さい。

 

 

つまり、「切れ目を入れなくても良い」ではなく、むしろ「切れ目は入れない方が良い」であるように思います。

事実、プロの料理人で、一生懸命切れ目を入れた昆布でだしを取っている方に、全くお目にかかったことがありません。

 

 

普通にだしを取ったとしても、水に溶けだす昆布のエキス分は非常に多いのです。

驚かれるかもしれませんが、水に溶け出すものが約4割だとお考えください。

6割がダシガラです。

だしは透明な液体ですから、ほとんどの成分がダシガラに残存しているように見えるかも知れませんが、半分近くのものが溶出しているわけです。

 

 

別の観点で、ダシガラに残る水溶性でない栄養成分があります。

ダシガラも上手に調理すれば美味しくいただくこともできますし、何より栄養豊富です。

そんなことについて書いた過去投稿もありますので、ご興味あればご一読下さい。

 

2020-06-23投稿

ミネラルいりこんの役割 - こんぶ土居店主のブログ

 

2020-12-21投稿

名に恥じぬ「PFCミネラルいりこん」 - こんぶ土居店主のブログ

 

【昆布だしの味 vol.3/3】昆布の厚みと「甘さ」の関係

前々回投稿 【昆布だしの味 vol.1/3】味のキレって何? ダシと酒について

前回投稿 【昆布だしの味 vol.2/3】魯山人を鵜呑みにしないで(だしの取り方)

の続きです。

今回もなかなかマニアックな内容です。悪しからずご了承下さい。

 

 

 まず、突然なのですが。

昆布って、とても甘いのです。

そう言われても、首をかしげる方もあるかも知れませんね。

しかし、あの塩辛い海水の中で育ったものだとは思えないほど、強い甘みを内部に蓄えています。

(その甘さを体験したい方は、本投稿末尾の(※2)をお試し下さい。)

改めて考えてみますと、昆布に限らず他の海産物でも同じです。

魚でも貝類でも甲殻類でもウニでも、良い品質のものは、総じて「甘い」でしょう。

何なら、陸上の作物でも同じです。

野菜でも果物でもお米でも、高級なものほど甘い傾向にありますね。

 

 

前回の投稿で、魯山人の著作「だしの取り方」のおかしな部分をたくさん指摘しました。

 

作中には「昆布の底の甘味が出て、決して気の利いただしはできない。」との一文がありましたが、これなら「昆布は甘くない方が良い」ということになりませんでしょうか。

個人のお好みは様々あるでしょうが、前述の内容と考えあわせますと、まずここに違和感を感じます。

 

 

 さて、話は少し変わりまして。

昆布の色は、どんな色でしょうか。

たいていの方は、緑がかった黒い色などをイメージされるかと思います。

しかし、黒いのは「皮だけ」なのです。

 

これはちょうどリンゴをイメージしていただければ分かりやすいかと思います。

普通リンゴは赤いですが、それは皮の色ですね。

中身は白いわけです。

これは、昆布も全く同じ構造で、皮は黒くても中身は白っぽい色をしています。

昆布粉をイメージしていただければ分かりやすいでしょうか。

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 この昆布粉の色、使用する昆布の厚みによって少し変化します。

それは、皮と中心部の割合が変化するからです。

分厚い昆布と薄い昆布に分けて、断面の模式図を描いてみました。

(黒っぽい色で書いた部分が「皮」で、それに挟まれたクリーム色の部分が、昆布の中心部を表しています。)

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Aの厚い昆布は、Bの薄い昆布に比べて、ちょうど厚みを二倍に描いています。

しかし、絵の黒い色の部分、つまり皮の部分はAもBも同じ厚みです。

つまり、分厚い昆布があったとすれば、「皮以外の白い部分が分厚い」ということです。

実際の昆布もこんな構造になっており、中心部の占める割合は物によって大きくバラつきます。

この絵では、Aの中心部の厚みをBの三倍で書いていますが、3倍以上の厚みになることも多々あります。

 

 

この構造を把握していただければ、厚みによって昆布の皮と中心部の構成割合が変化しますから、厚みが味の違いの原因となることがご理解いただけるかと思います。

もし昆布の皮の部分と芯の部分、それぞれの味を確認したければ、ご家庭でも可能な方法もあります。(投稿末尾※1に記載)

  

 

それぞれの味を、簡単に表現しますと

 【皮の部分】

塩分が多い、ミネラル感が強い、甘みは少ない、雑味もあり

【芯の部分】

塩分はほとんど感じない、ミネラル感は少ない、甘く感じる、雑味は少ない

 

こんなところでしょうか。

 

 

 上記を踏まえますと。

魯山人の言う「昆布の底の甘味が出て、決して気の利いただしはできない。」を真に受けるなら、昆布は薄い方が良いのです。

薄ければ薄いほど、皮の割合が多くなるわけですから。

 

しかし、普通に考えて、ぺらぺらに薄い昆布で取った「塩分が強くて甘味の少ない昆布だし」が良いなんて、おかしな話だと思われませんでしょうか。

 

 

 

先にも書きましたが、他の食材の事例を考え合わせても、「甘さ」は「おいしさ」の重要な一要素であることは間違いないでしょう。

 人間の味覚の意義である栄養摂取の観点から見ても、それは言わば当然のことです。

 

その一方で、魯山人の話と共に、前々回(2021年4月10日)の投稿「味のキレって何? ダシと酒について」 でも書きましたように、甘さを否定しがちな不思議な味の評価が存在します。

何をおいしいと感じるかは個人差がありますし、それ自体は非常に結構です。

しかし、ベタベタした人工的で過剰な甘さならともかく、自然の素材が持つ「甘さ」が不要だなんて、そんなおかしな話は無いと思っています。

 

 

こんぶ土居でご用意しているだし昆布は、しっかりと厚みもあり、良い甘味を蓄えたものです。

今後も、そんな味を追求します。

その味が、多くの方にご理解いただけることを願っています。

 

(了)

 

 

【補足】

(※1 昆布の皮と芯の味の比較方法)

下記の方法をお試し下さい。

① 板状の昆布を用意して下さい

② その昆布を水に浸してください

③ 水からすぐに引き上げ、20分ほど放置して下さい。

④ 昆布の表面を濡らしていた水が、全て昆布に吸い込まれているはずです。

⑤ 昆布が柔らかくなっていますから、表面に包丁を当て、少しずつこそげ落としてください。それが昆布の「皮の部分」です。

⑥ 何回か包丁でこそげると、黒い皮の部分がなくなって、次に白い部分が削り出されてくるはずです。それが昆布の「芯の部分」です。

皮と芯、それぞれの味を比較することができます。

 

(※2 昆布の甘さ成分の体験方法)

 上記の⑤の後には、皮がなくなった真っ白な昆布が出来上がると思います。

それを、急激に水分が飛んでしまわないように管理(ビニール袋に入れるなど)しながら一週間ほどおいておきますと、白い粉が浮いてきます。

その粉は、昆布に含まれる糖分そのものですから、舐めてみて下さい。

塩分の強い海水中で育ったものだとは思えないほどの強力な甘さを感じます。

【昆布だしの味 vol.2/3】魯山人を鵜呑みにしないで(だしの取り方)

 

前回投稿、【昆布だしの味 vol.1/3】味のキレって何? ダシと酒について

の続きです。

 

 

人のことを悪く言うのは慎むべきだと思いますが、真実を伝えるためにやむを得ない場合もあるでしょう。

 

今日の投稿は、北大路魯山人の著作について。

高名な芸術家ですし、素晴らしい功績が多いのだと思いますが、魯山人が「だしの取り方」というタイトルで書かれた文章には、疑問を呈さざるを得ません。

少しならまだしも、疑問点だらけです。

 

古い著作ですから、今は権利が消滅しているようで、誰でも自由に読むことができます。

決して長い文章ではありませんから、まずは下記からご一読下さい。

北大路魯山人 だしの取り方

 

 

簡単に言えば、魯山人の「だしの取り方」に書かれている内容は、間違いだらけなのです。残念ながら。

しかし、著者が高名であるが故に多くの人が信じてしまう。

そんなことが想定されるので、本日は注意喚起をさせていただきます。

子供の頃に聞いた歌のセリフに「偉きゃ黒でも白になる」と言うものがありましたが、影響力のある人物による過った情報は、なかなかやっかいなものです。

 

 

以下、正しくない部分を抜粋し、私の注釈を入れてご説明させていただきます。

よろしければご一読下さい。

 

 

  【魯山人「だしの取り方」、正しくない部分のまとめ】

 

〇本節と亀節ならば、亀節がよい。

(土居注釈: これは嘘です。本節が劣るということはありません。)

 

〇削ったかつおぶしがまるで雁皮紙のごとく薄く、ガラスのように光沢のあるものでなければならない。こういうのでないと、よいだしが出ない。削り下手なかつおぶしは、死んだだしが出る。

(土居注釈: まず、「死んだだし」という意味が分かりません。「薄く光沢のあるもの」と書かれていますが、切れ味の良いカンナで薄く削れば、光沢は出ます。逆にカンナの刃を出し気味に調整すれば、厚めに削り出され、同時に光沢は少なくなります。しかし、そのような削り節でだしを取っても、味が劣るかどうかは別問題です。)

 

 

〇だしをとる時は、グラグラッと湯のたぎるところへ、サッと入れた瞬間、充分にだしができている。それをいつまでも入れておいて、クタクタ煮るのではろくなだしは出ず、かえって味をそこなうばかりである。

(土居注釈: 鰹節が薄く削られているのなら、短時間でだしが出るのは間違いありませんが、「サッと入れた瞬間、充分にだしができている。」は言い過ぎです。

これを真に受けて、鰹節を鍋に投入してすぐ濾してしまう方が現れるかと思いますが、なんとももったいないことです。「グラグラッと湯のたぎるところ」という記述も、なぜ激しく沸騰している必要があるのか不明です。)

 

 

〇外国人はかつおを知らないし、従ってかつおぶしを知らない。

(土居注釈: カツオは、世界中の熱帯域を中心に、温帯域まで広く分布していますから、外国人が「かつおを知らない」などということはありません。モルディブスリランカでは「モルディブフィッシュ」という加工品を料理に使います。加工法は日本の鰹節の製造に比べれば荒いものですが、これは鰹節そのものです。)

 

 

〇味、栄養もいいし

(土居注釈: この文脈は、西洋料理との比較でかつおだしが語られていますが、外国のスープと比べて「栄養もいいし」の根拠が不明です。そもそも、鰹節の栄養素のほとんどはダシガラに残存し、それに比べれば、かつおだしの栄養価値は高くありません)

 

 

 

〇料理屋の真似をしてガラスで削るのは危険だし、たくさん削る場合は間に合わないから

(土居注釈: そんな心配をせずとも、家庭でだしを取るのに鰹節をガラスで削る人などいるでしょうか。そもそも、料理屋さんが厨房でガラスを使って鰹節を削ることがあるとすれば、それは料理のトッピング用の「糸削り」です。だしの用途ではありません。)

 

 

 

〇昆布をだしに使う方法は、古来京都で考えられた。周知のごとく、京都は千年も続いた都であったから、実際上の必要に迫られて、北海道で産出される昆布を、はるかな京都という山の中で、昆布だしを取るまでに発達させたのである。

(土居注釈: 昆布は、縄文時代から北海道縄文人によって使われてきた歴史があるようですから、「古来京都で考えられた」は嘘です。また特殊な用途(特権階級向けや、神物への供物として)の昆布の本州への流通は、少量ですが、平安遷都以前から存在しています。庶民にまで広く普及するようになったのは、江戸中期からの北前船による大量物流以後であり、その中心地は大阪です。「昆布だしを取るまでに発達させた」とありますが、昆布は水に漬けておくだけでだしが出ますから、「発達させた」と言うのが何を指しているのか不明です。)

 

 

〇昆布のだしを取るには、まず昆布を水でぬらしただけで一、二分ほど間をおき、表面がほとびた感じが出た時、水道の水でジャーッとやらずに、トロトロと出るくらいに昆布に受けながら、指先で器用にいたわって、だましだまし表面の砂やゴミを落とし、その昆布を熱湯の中へサッと通す。それでいいのだ。

(土居注釈: 一度この方法を実験してみてください。ほとんど味の無い白湯のようなものができあがります。)

 

 

〇こぶを湯にさっと通したきりで上げてしまうのは、なにか惜しいように考え、長くいつまでも煮るのは愚の骨頂、昆布の底の甘味が出て、決して気の利いただしはできない。

(土居注釈: 「昆布の底の甘味が出て」の部分は、前回投稿にも関係します。次回の投稿でも、改めて詳細にご説明します。)

 

 

〇京都辺では引出し昆布といって、鍋の一方から長い昆布を入れ、底をくぐらして一方から引き上げるというやり方もあるが、こういうきびしいやり方だと、どんなやかましい食通たちでも、文句のいいようがないということになっている。

(土居注釈:  こんなことを本当にやっている京都の料理人さんがおられるなら、お目にかかりたいものです。また、「文句のいいようがないということになっている」とのことですが、魯山人以外で同様のことを言っている人が、いくら探しても見つかりません。これについても、次回投稿を読んでいただければと思います。)

 

(了)

 

次回の投稿、【昆布だしの味 vol.3/3】昆布の厚みと「甘さ」の関係、に続きます。