こんぶ土居店主のブログ

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平成16年夏、昆布漁のお手伝い

昆布の漁期は真夏です。

私が初めて昆布産地を訪問したのは平成16年で、漁師の方と一緒に昆布漁の船に乗り、泊まり込みでお手伝いをさせていただきました。

当時、そのことについて書いた文章がありますので、転載致します。

 

 

こ ん ぶ 土 居 通 信 №12  平成 16 年8月発行

【昆布漁体験記】

美味しいものを食べられるのは、素材を作っていただいている農家や漁師の方のおかげだというのが、こんぶ土居の考えのひとつです。

消費者は良いものをいただいたときは生産者に感謝をし、生産者は消費者の期待に応えられるものを提供する。そうすることで、良い関係を築くことができるのではないでしょうか。
昆布の場合は、生産地の方々と両親がそれなりのお付き合いをしてきていますが、私は漁師の方が一番大変な時期に漁のお手伝いをすることにより理解を深めたいと思っていました。

川汲漁業協同組合の最後の組合長(現在は合併して組織変更)吉村 良一氏のお宅へ泊めていただき、一週間昆布漁のお手伝いをさせていただくことになりました。

今年は7月17日が天然昆布採取の解禁日です。朝3時半の起床、大急ぎで朝食もとらず、4時過ぎには船に乗り込みます。

普通は3人で船に乗り、一人が昆布の採取、一人は船の位置を固定する「トメシ」と呼ばれる係り、もう一人は取った昆布の根の部分を切り取り、異物を除いて船の上へ揃えて積んでいく「中乗り」という係りです。

吉村良一氏の船は、良一氏が昆布採取、長女の幸恵さん(中学三年生)がトメシ、奥様が揃え係です。

私の滞在の最終日には、次女の麻稀さん(中学一年生)もトメシとして初めて海に出ました。

私は良一氏のお父さん捨良氏の船で、中乗りをさせていただきました。

5時ごろ良一氏の合図で、好みのポイントに陣取った川汲地区の約160隻の船が、いっせいに昆布採取をスタート。

良い昆布が密集しているところに止めた船から、捨良氏はのぞきめがねを見ながら先が二股に分かれた「まっか」と呼ばれる棹に昆布を巻きつけて引き上げます。

海底の岩にしっかりと根を張った昆布を剥がし取って引き上げるのには技術と体力が必要です。

通常は一度に数本の昆布が上がってくるのですが、大きな石と一緒に昆布が33本あがったときは二人で大笑い。
80歳の高齢とは思えぬ力強さです。昆布で船が満タンになったころ、良一氏の合図ですべての船が港に戻り昆布を陸にあげます。
休む間もなく重い昆布を一本ずつ吊るして乾燥室へ入れます。

「この乾燥の時間と温度が昆布の品質を決める」と父が言っていましたがそんなことをゆっくり考える余裕もありません。

今朝とった昆布をすべて吊るし終えたら、ようやく朝食です。

少し昼寝をして、乾燥ができた昆布から倉庫に取り入れていきます。その後しばらくあん蒸ののち、自宅二階へ取り入れ、漁期が終わってから整形して製品になります。

一日の仕事が終わると日も暮れ始めます。

奥さんと二人のお嬢さんは夕食の準備。奥さんは船に乗ってはご主人と一緒に昆布漁、陸に上がっても家事を一手に引き受けて大忙し、大活躍です。

二人のお嬢さんもほんとによく家のお手伝いをして、子供の頃の自分と比較すると恥ずかしくなるほどです。

家族そろっての楽しい食事。捨良氏からは昆布と関わって60年の薀蓄をたっぷり聞かせていただきました。そうこうしているうちに疲れが出てきて眠くなり、長い一日が終わります。
大阪にいて昆布を選別しながら不満もありましたが、漁師の立場に立ってみると考え方も変わります。都会で家族全員でこれぐらい働くとかなりの収入になるはずです。
7月24日朝日新聞〔ひと〕欄に、社会保険庁長官 村瀬清司氏の言葉として「勤め先を問われて社会保険庁と言えますか」が載っています。吉村幸恵さん、麻稀さん、おうちの仕事はと問われて胸を張って「昆布の漁師」と言えますよね。

家族が力をあわせて仕事をしている美しさ、失いたくはありません。

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