先日、ある方からお誘いいただき、大阪の島本町にあるイタリア料理屋さんへ行きました。
ジビエ(狩猟によって捕獲された野生の鳥獣の肉)を専門に扱うお店です。
ご主人の宮井一郎さん(以下、一郎さん)は、料理人であり同時にハンターで、お店の近くの山に罠を仕掛け、シカやイノシシなどの獲物を調理しておられます。
一郎さんのことは、書くと長いので、ネット上の記事をご紹介しておきます。
下のインタビュー記事を、是非ご一読下さい。
一郎さんの料理は、どれもこれも本当に美味しく、そこにはタイトルに書いたように「食の正しさ」のようなものを感じます。
所謂、軽薄なガストロノミーの世界が追求する「美食」とは明確に一線を画すものです。
ジビエはくさいもの、とお考えの方もあるかも知れませんが、「正しい処理」をしたものは、くさくなんて無いのです。
どの肉でも「香り」と「臭み」があるかと思いますが、一郎さんの料理に存在するのは前者です。
例えば、普通に市販される、牛肉、豚肉、鶏肉は、くさみが出にくいように品種改良されてきたものでしょう。
しかし、その一方で「正しくない飼育方法」によって、本来その動物が持っている個性とは違った「おかしな風味」が発生しているように思います。
例えば、普通のスーパーなどで安価に売られているブロイラーをシンプルに調理したものは、私はかなり抵抗があります。
いやな風味を感じるのです。
香りの強い副原料で味をつければ気にならないですが、例えば「塩をかけて焼いただけ」なら、かなり厳しいです。
先にご紹介したインタビュー記事内の一郎さんの言葉を借りれば、
『畜産はやっぱりどうしてもストレスがかかって臭くなるんです。人間でもそうやけど、牢屋に入れられて、好きなものを食べさせてもらえない、お風呂にも入れない、排泄と寝る場所が同じで、しかもいずれは殺されるということが分かっていたらストレスかからへん?
ストレスがかかると体臭が出ると言われているから、どうしても独特の肉の臭さを僕は感じるんです。だから僕の獲った肉を食べてもらったら分かるけど、全然臭くないんです。なんでかというと、死ぬ瞬間まで“生きようとしている”からね。それを経験したら、僕自身も生き方を変えたいと思います。死ぬ瞬間までストレスを抱えずに生きたいなあと。』
地球上に60億人がいる中で、全員が食べていくための方法として畜産は当然必要です。僕のようなやり方が、まかり通るとは思ってない。でも人間は生き物を殺すことでしか生きていけない、その事実を伝えていきたいとは思っています。コンビニでもスーパーでも全部殺されたものが並んでいるわけで、植物も生きているからどんな人も絶対に何かを殺しているわけで、それを猟やジビエを通して実感してほしいんです。
本来の食性と違った産業効率ばかりを考えた飼料で育ったり、飼育環境が悪いことに起因する病気を防ぐため投薬されたり、そんな理由によっても異常な臭気が発生するのでしょう。
食にも『正しさ』がある!
今回のブログでお伝えしたい内容は、これだけです。
地球人類を飢えさせないために、一般的な畜産や、農薬や化学肥料を大量に使う農業も必要でしょう。
それでも、少なくとも両者の違いだけは多くの方にご理解いただきたいです。
食にまつわる社会問題からヴィーガンになる方々も増えていますが、「命を考える」ことについても、一郎さんのお仕事から感じるところは大きいです。
頭の中だけで考えた話と、実際に山に入って「自らの手で殺生」して得た一郎さんの感覚、やはり後者の方が価値が高いと思います。
一度、島本町のお店まで出かけて一郎さんのジビエ料理を食べ、慣れ親しんだ大量生産の家畜の味との違いから、正しい食について考えてみて下さい。
これは昆布屋としての私共の仕事にも同じことが言えます。
うま味調味料や食品添加物を駆使してつくった味ではない「正しい昆布製品」を追求したいと思います。
もはや、求めるべきものは、主観的な「美味しさ」などではないのです。
余談ですが、一郎さんのお店で出てきたワインは、過去にこのブログで何度となくご紹介した、イタリアのナチュラルワインのインポーター「ヴィナイオータ」のものばかりでした。
たまたまでしょうか?
いえいえ、恐らく一郎さんとヴィナイオータさんのお考えが近いのでしょう。
こちらにも、同じく「食の正しさ」を感じます。
以下の過去投稿も、是非ご一読下さい。