本日の投稿の趣旨はタイトルの通りであるわけですが、非常に突飛な印象を受ける方が少なくないかと思います。
「うまみ調味料」と「昆布漁業の再生」。
この両者に一体どんな関係があるのかと。
多くの方には無関係に見えるかと思いますが、最後まで読んでいただければ「遠因のひとつ」だということは理解していただけるのではないかと考えています。
また、未来の私たちの進む道を考える上でも、とても大切なことだと思っています。
書き進める段落としては、以下の通りです。
【昆布の、「失われた30年」】
【業界の需要と、生産量のバランス】
【気づくのが遅い!その理由】
【代替品の有無と、供給ひっ迫】
【再生への最大障壁と、悲しい未来像】
【まとめ。使うこと=守ること】
では最初の
【昆布の、「失われた30年」】
世に言う「失われた30年」とは、1990年代初頭のバブル崩壊後、日本経済が長期にわたり低成長やデフレーションに苦しんだ期間を指すようです。
1990年とは平成2年ですから、そこからの30年ということはつまり、言い換えれば「平成時代」のことでしょう。
この「失われた30年」は、昆布についても全く同じなのです。
過去にも何度も書かせていただいておりますが、北海道の昆布生産量は、減少の一途です。
生産量で見ても、北海道の生産量のピークは平成元年(1989年)の33,505トンでしたから、31年間の「平成時代」に継続的に衰退へ突き進んできたことになります。
(北海道水産物検査協会調べ)
【業界の需要と、生産量のバランス】
このように生産量の減少は、昨日今日に始まったことではなく、30年以上前から続いてきたことなのです。
しかし、これが「問題」として顕在化することはありませんでした。
それは、生産量と消費量が足並みを揃えるように低下し、「釣り合っていた」からに他なりません。
下に示すグラフは「消費量」のデータですが、先に示した「生産量」のグラフと、ほとんど同じ動きを見せていることはご理解いただけるでしょう。
つまり「昆布はどんどん使われなくなってきた」わけです。
昆布の需要とは、もちろん消費者の方による需要であるわけですが、北海道の昆布生産地から昆布を仕入れるのは、私共のような「昆布業者」です。
平成に継続して減少した昆布生産量ですが、その間、昆布業者の仕入れ需要が満たせないなんてことはありませんでした。
繰り返しますが、これは生産量の減少と需要の減少が釣り合っていたからです。
【気づくのが遅い!その理由】
新たなデータとして、天然昆布と養殖昆布を分けたグラフをご覧下さい。
青い折れ線グラフが天然昆布で、オレンジの折れ線が養殖昆布です。
ご注目いただきたいのは、養殖昆布の生産量は比較的安定していることです。
つまり、平成時代の昆布生産量の継続的減少は、ほぼ「天然昆布の減少」だと言うことになります。
それは、青い折れ線の急激な減少を見ても分かる通りです。
これは「藻場の衰退」という、昆布だけに留まらない環境問題の一側面です。
私が社会に向けて、特に危機的な状況にある道南地方の天然真昆布の危機について世に強く訴えだしたのは、2018年(平成30年)頃からであったように思います。
産経新聞の北村博子記者が新聞の一面で記事にして下さったのは、その翌年2019年のことでしたが、この頃はまだ社会の問題認識が非常に浅い時代でした。
しかし先に示したデータの通り、天然昆布の枯渇は、それより遥かに昔から急速に進んでいました。
にも関わらず、私たちはその問題の深刻さに、長い間『気づけなかった』わけです。
その理由は何度も繰り返して恐縮ですが、「消費量の減退を理由に業界需要が縮小し、仕入れに特に問題が発生していなかった」からに他なりません。
つまり、「需要の減少が問題の露見を遅らせた」と言うことです。
ここで言う「問題」とは、主に天然昆布の枯渇という「環境問題」のことです。
当たり前ですが、対策のスタートは早ければ早いほど楽です。
スタートが遅れると、その間にも問題は深刻化しますから、解決へのハードルは上がってしまうことになります。
【代替品の有無と、供給ひっ迫】
前段で書いたことを、もう少し詳細にご説明しますと、昆布の減少が続いた「平成時代」とは、だし昆布が売れなくなった時代でもありました。
それは、過去投稿『『昆布だし文化、7割減』の衝撃 - こんぶ土居店主のブログ』で詳しくご説明している通りです。
「だし昆布が売れない」平成時代の全昆布屋の共通の嘆き、そこに代替品の存在が関係しています。
家庭でだしを取る人が減少し、顆粒のだしのもと等が多用されるようになってきたということです。
そして、そういった顆粒だしのもと製品には、昆布がほんの少量しか含有せず、うまみ調味料が主原料であることは過去投稿『「ほんだし」、昆布使用量100分の1の疑い - こんぶ土居店主のブログ』でご説明している通りです。
提示しました消費量のグラフには「昆布の消費量」と共に「昆布つくだ煮」のデータも載っているわけですが、そちらの減少幅が比較的小さいことの理由は「別の何かによって代替できない」ということでしょう。
「だし」は、うまみ調味料を主成分とする「だしのもと」で代替されたとしても、「昆布つくだ煮」を昆布以外の何かを代用にして製造することなど不可能ですから。
こう考えると私は、「昆布だし」がうまみ調味料で代替されることが無かったとすれば、もっと早くに供給のひっ迫が起き、海の問題に気づけていたはずだと思うのです。
しかし実際は、「昆布屋が昆布を仕入れられない」状況に直面したのは、ここ数年の話であり、平成の時代は生産量の継続的減少にも関わらず、なんと「昆布は余っていた!」のです。
今では信じられないことですが、これは事実で、昆布専門の営業倉庫に過剰在庫の昆布が山積みになって、新たな荷物を受け入れられないような状況も危惧されていたほどです。
当然、昆布の取引相場も安い時代でした。
こう考えると、代替品としてのうまみ調味料の多用が、天然昆布枯渇の問題の露見を遅らせたと言えませんでしょうか。
【再生への最大障壁と、悲しい未来像】
直近の生産年度である2024年度は、北海道の昆布生産量が8213トンと、ブッチギリの過去最低でした。
ここまで来るとさすがに局面が変わり、今は「全昆布屋が昆布を仕入れられなくて困っている」という状況です。
それによって、過去最大量の昆布を隣国から輸入するという結果になり果てています。
この経緯については、過去投稿『』今更に『日本昆布協会』に入会の理由 - こんぶ土居店主のブログ』でご説明している通りです。
この時の投稿でも書いた通り、天然昆布の再生への取り組みは、遅々として進んでいません。
その理由は、「産地が活力を無くしている」ということでもあるのです。
昆布漁業が衰退しているといういことは、漁師さんが減少し、高齢化して若い漁師さんが少ないということです。
需要がなくなれば産地が活力を無くし、弱体化するのは当たり前。
そんな弱体化した現場で未来へ向けた意欲的な取り組みができるでしょうか。
この現状こそが、問題解決の動きが鈍い背景にあるのです。
今後の悲しい未来を想定するとすれば、以下のような感じでしょうか。
〇現在の昆布生産量の減少によって、取引価格が上昇する
↓
〇それによって昆布製品の値段が上がり、消費者の購買意欲が低下する
↓
〇益々、安いうまみ調味料で代替され、昆布の消費量が更に減る
↓
〇昆布産地が更に活力をなくす
↓
〇現場で天然昆布の枯渇に対策する人的リソースが取れず、問題が放置される
つまり、天然昆布の不作という大問題の解決に必要なのは、その土地の人々の暮らしを支える「需要」であって、「昆布産地の地域経済の継続」だということです。
それに、うまみ調味料の多用が逆風を吹かせてきたことは間違いないでしょう。
【まとめ。使うこと=守ること】
天然資源の枯渇という問題が起きると、「守る」ということが注目されがちです。
例えば、魚が乱獲によって生息数を減らしているのなら、漁獲制限も必要でしょう。
消費者も、「一時的に消費しない」ということが求められる場合もあります。
しかし、天然昆布の不作は磯焼けの一側面であって、乱獲とは基本的に関係がありません。
よく、「消費は投票行動だ」なんて言われます。
自分が何かを買うということは、その作り手を支持したことと同義で、未来に影響します。
一次産業の現場には必ず「人」が存在し、その人が生み出す何かによって地域経済が回っているわけで、その経済が停滞縮小すれば現場を守る「人」が居なくなってしまうのは、当たり前の理屈です。
現在の昆布の不作によって、多くの日本料理の料理人さん方も困っておられます。
そうった背景で、昆布を使わない「新しいダシ」の模索も広まってきているようで、私はそれにも危惧を感じ、過去投稿で書いています。
『文化を守る人』>『美味しいものをつくる人』、と言いたい。 - こんぶ土居店主のブログ
日本の伝統食文化の核である昆布が大変な危機にある今、それを「使う」「使わない」の両方の選択が消費者に委ねられているわけですが、「うまみ調味料に頼って昆布を使わない」というこれまでの日本人の消費行動が、問題を根深くしてきたのは間違いないかと思います。
自然環境が悪化し、文化が衰退し、しかし「うま味」「UMAMI」を安価に付与する代替品は潤沢に存在する。
私たちは、そんな未来を望んでいるのでしょうか。
よく考える必要があると思います。
昆布を使って下さる方には、その購買行動自体が沿岸の環境維持に貢献していると自認していただいてよいのではないでしょうか。
おそらくこれは、昆布だけのことではないのでしょう。
「日本の食料自給率が下がる」ということと「日本の里山里海が荒廃する」ということには、とても強い関わりがあると思うのです。
(了)