昆布や食品のことについて、あれこれ書いております、この「こんぶ土居店主のブログ」。
残念ながら昆布業界は昔と比べて大きく衰退していますし、文化を未来に繋ぐために私が大切だと思うことを多くの方にご理解いただきたいと思い、書いております。
特に昨今、昆布の味わいの分析から生まれた「うま味」「UMAMI」という言葉が賛美されて世界中で一人歩きする現状ですが、その認識が昆布文化の衰退に大きく関わるものですから、昆布屋の立場から常に発信を続けてきました。
同じような問題意識を感じて下さる方は少なくないのですが、そのおひとりが「フジワラコウ」さんです。
この方は音楽家なのですが、私と同じように「うま味問題」の指摘を、驚くべき詳細と深さを以て発信して下さっています。
先日この「フジワラコウ」さんが、SNS上で使われた言葉こそ、タイトルの「生理的快と、感性の快」です。
本日の内容は、それについての私なりの解釈を書かせていただくものです。
それによって「うま味」「UMAMI」が賛美される問題の理解に繋がればと期待しています。
【生理的快とは】
まず、「味覚」の基本的な機能について確認させてください。
私たちは日々、生きるために何かを食べ続ける必要があります。
その「食べる」という行為を続けるための動機付けのひとつが「おいしさ」で、「おいしい」という喜びの感情が伴ってこそ、食べること自体が快楽となり、食品摂取を続ける理由のひとつとなります。
また同時に、健康を害するようなものを体内に入れてはいけないわけですから、防御作用として「まずい」と感じる機能もとても大切です。
つまり「おいしい」「まずい」といった味覚は、基本的には正しい栄養摂取のために人間に備わった機能であると考えて良いと思います。
これこそが、味覚の「生理的快」の最も根源的な部分だと考えています。
【報酬系の味覚】
「報酬系の味覚」という言葉については、ある食化学の大家の大学教授が、よく発信して下さっています。
ネット上で読むことのできるものから抜粋しますと。
『快楽の領域まで達したおいしさ。病みつきになる特定の食材が、脳の報酬系を刺激することによって、引き起こされるおいしさです。私は快楽に達したおいしさを与える食材というのは、油脂と砂糖とだしの3つしかない、と思っています。』
とのことです。
この先生は、「だし」の素晴らしい役割について常に発信して下さっているので、昆布屋としては非常に有難いところです。
この方は「油脂と砂糖とだし」と常に表現されるわけです。
「うま味」でなく「だし」だと。
しかし私は、食化学の大家に誠に失礼なことですが、生理作用としての「報酬系」という観点からは、これには賛同できません。
そもそも「油脂と砂糖とだし」、これら三つを並列に語ることにも違和感があります。
油脂は、言ってみれば成分名です。
砂糖も、主成分はスクロース(蔗糖)ですから、こちらも成分名に近い話です。
しかし「だし」と言ったって色々あるわけです。
昆布だしなのか、鰹節や煮干しのだしなのか、干し椎茸なのか。
海外にも目を広げれば、だしの素材など本当に多岐に亘ります。
当然舌で感じる味だけでなく、香りの要素も含みます。
つまり全く「成分名」だとは言えず、油脂と砂糖とは異質のカテゴリーで、漠然とし過ぎています。
ここでは、様々な味覚成分を含む「だしの味」の中で、主たる機能である「うま味」とすべきでしょう。
【報酬系の味覚と、健康との関係】
個人や民族の違いによる「好み」とは全く関係の無い、あらゆる人が欲するタイプの味覚があります。
栄養成分の最も基本的な要素は、「タンパク質」「脂質」「炭水化物(糖質)」の三つで、これらは人間の生命維持のために欠かすことのできないものですから、その摂取が特に大切で、動機付けとして「おいしい」と感じるように私たちの身体はできているのでしょう。
これこそが「報酬系」の背景だと思います。
一方、「おいしい」「まずい」といった感覚は個人差がありますから、「好み」も反映します。
例えば、多くの日本人は納豆を美味しいと思って食べるわけですが、外国人には「臭い食品」と見られがちです。
こういった風味は「生理的快」「報酬系」とは全く異質のものであって、文化や歴史風土を反映しており、フジワラコウさんの言葉を借りれば「感性の快」といったものになるかと思います。
現代人の健康を考える上で、生活習慣病の解決は大きな課題です。
問題のある食生活の結果として表れてくるのは、まず「肥満」であって、それによって引き起こされる疾病について世界が頭を悩ませているわけです。
『おいしいものは、脂肪と糖でできている。』
これは、日本コカ・コーラ社が「からだすこやか茶W」の広告で使用した、見事なキャッチコピーです。
脂肪と糖質が人間の生命維持に欠くことのできない栄養素であるからこそ味覚が執着し、それによって現代人が「脂肪と糖の取りすぎ」の結果になっているのでしょう。
しかし、残る一つの三大栄養素である「タンパク質」は、逆に摂取量が足りていないぐらいであって、一般的には更なる摂取が推奨されます。
つまり人間の味覚がタンパク質を欲して多く摂取したとすれば、その一方で脂肪と糖の摂取量減に繋がる可能性があり、生活習慣病の解決策として期待できます。
しかし残念ながら、タンパク質自体には、あまり味が無いのです。
卵の白身は純粋なタンパク質に近いですが、ゆで卵の白身に強い味が無いのは、どなたにもご理解いただけるかと思います。
ここで登場するのが、所謂「うま味」です。
そもそもタンパク質とは、多種のアミノ酸が鎖状に連なった構造をしています。
そして、人間の舌がタンパク質の味を感じられなくとも、構成要素である「アミノ酸」の味は感じることができます。
「うま味」の成分として代表的なグルタミン酸も、人体のタンパク質を構成する20種類のアミノ酸のひとつです。
つまり、人間の味覚がアミノ酸を「うま味」と感知してそれを摂取するなら、それは、その結合体としてのタンパク質摂取と、結果として非常に近いものだということです。
しかしここで注意すべきことは「アミノ酸スコア」。
人間の体内で生成できない9種類の必須アミノ酸をバランスよく摂取する必要がある点です。
「うま味」を感じたとしても、例えばそれが味の素等の「うま味調味料」に由来するものであるならば、成分としてはグルタミン酸がほとんどです。
グルタミン酸は必須アミノ酸ではありませんからアミノ酸スコアの観点では無価値であって、これはつまり、本来リンクしているはずの「うま味を舌が感知して摂取すること」と「タンパク質の摂取」の分断を引き起こすことに繋がるわけです。
人間の舌の機能が貧弱であるが故に騙されている、とも言えそうです。
まとめるならば、
◇報酬系の味覚のうち、脂肪と糖を多く摂取してしまうと生活習慣病につながる。
◇しかし、もうひとつの報酬系味覚の「うま味」を上手に活用することで、結果として脂肪と糖の摂取が抑えられるのであれば、生活習慣病の解決につながる可能性がある。
◇ただ、その「うま味」が、食品に含まれるものであるのか、「うま味調味料」によるものであるのか、アミノ酸スコアの観点から注意が必要。
といったところでしょうか。
しかし私は、これはあくまで「可能性」であって、机上の空論に近いように思っています。
その理由について次の段で書きたいと思います。
【報酬系カルテット】
前段で、「油脂の味」「甘さ」「うま味」が、三大栄養素摂取の動機となる人間の報酬系の味覚であると書きました。
しかし、私はもうひとつ忘れてはならないものがあると考えています。
それは「塩」です。
塩分も人間の生命維持に欠かすことのできない栄養素で、人間の舌が塩味に強く執着していることは疑いようが無いかと思います。
料理に塩味が足りなければ、物足りなく感じますね。
しかし、塩分の取りすぎは高血圧等の生活習慣病につながりますし、過剰摂取にならないようにしなければなりません。
こんな背景があって、うま味調味料メーカーが筆頭となって「うま味」を活かすことよって塩分摂取を減らせると説くわけです。
うま味調味料の活用術・おいしく減塩 | 日本うま味調味料協会
これが本当なら「うま味」は、生活習慣病のリスクとなる「糖分」「脂肪」「塩分」の摂り過ぎから現代人を救う、素晴らしい成分だということになって、事実そういった発信がされているように見えます。
世界で「UMAMI」という言葉が流行り言葉のようにもてはやされるのも、こういったことと無関係ではないでしょう。
しかし私は過去投稿で二回に亘って、「うまみ調味料で減塩」は正しくないとの考えを書いています。
「うまみ調味料で減塩」を正しくないと考える理由 - こんぶ土居店主のブログ
「うまみ調味料で減塩」を正しくないと考える理由(第二回) - こんぶ土居店主のブログ
それはさておき。
報酬系の味覚への執着を考えるならば、「甘さ」「油脂の味」「うま味」「塩味」この四要素すべてを備えている味こそ「最強の報酬系カルテット」ではないでしょうか。
人間の舌が執着を見せる要素が、一つより、二つ。
二つより三つ、三つより四つ、の方が執着が増すと考えても不自然では無いかと思います。
しかも特に、「塩」と「うま味」は味覚的相性が良いと来ているわけですし。
つまり、「うま味」が効いているから他の三要素を減らしても満足できる、なんてことは実際には少なく、結局全部含まれた食品に人間は強く執着するのではないかということです。
つまり、「からだすこやか茶W」の広告が言う『おいしいものは、脂肪と糖でできている。』に、「うま味」と「塩」が加わったものがそれに当たるわけです(スイーツを除く)。
この私の仮説に関係するのが「ハッピーパウダー」です。
【ハッピーパウダーの作り方】
どこのスーパーでもコンビニでも売っていますから、ほとんどの方はご存じかと思いますが、亀田製菓の米菓「ハッピーターン」の表面にまぶされている粉が「ハッピーパウダー」です。

ハッピーターンの原材料は以下の通りです。
うるち米(米国産、国産)、食用油脂、砂糖、でん粉、たん白加水分解物、食塩、麦芽糖/加工でん粉、調味料(アミノ酸)、植物レシチン
これを「米菓本体」と、味付けとしての「甘さ」「油脂」「うま味」「塩味」の4カテゴリーに分類してみましょう。
(原材料の最後に表記されている、食品添加物の「植物レシチン」は、役割として乳化や湿潤に関係するものであるようですから、味覚に関係しないと考え除外します。)
【米菓本体】 うるち米、でん粉、加工でん粉
【甘さ】砂糖、麦芽糖
【油脂】食用油脂
【塩味】食塩
このように、きれいに分類できました。
つまり、ハッピーパウダーを自作するためには、これら「報酬系カルテット素材」を混ぜれば良いだけです。
【甘さ】については麦芽糖は入手しづらいでしょうから砂糖にしましょう。
【うま味】は、たん白加水分解物は入手しづらいので、「調味料(アミノ酸)」を使いましょう。
製品で言えば、「味の素」がそれにあたります。

【塩味】、はそのまま食塩で良いですね。
少々工夫が必要なのが【油脂】です。
ハッピーターンの原材料には「食用油脂」となっていますが、普通の植物油は液体ですからパウダーになりません。
そこで、コーヒー用の「クリーミングパウダー」を使いましょう。
様々なメーカーから「クリーミングパウダー」は発売されていますが、森永乳業の「クリープ」など乳製品を原材料としたものは、乳由来の風味も伴いますから不適です。
植物油脂を主原料としたものを選びましょう。
最も手に入りやすいのは、味の素AGFの「マリーム」などでしょうか。

つまり、味の素とマリームと塩と砂糖を混ぜればハッピーパウダー的なものができます。

画像は左から、砂糖、塩、味の素、マリームの順です。
これ、本当にびっくりされると思うのですが、ハッピーパウダーそのものです。
米のみを原材料としたせんべいなどにつけれ味見してみて下さい。
(例えば、こういったような製品です。- いっぷくせんべい半月庵・グルテンフリー・無添加・オーガニック・玄米せんべい・有機JAS )
昔からのロングセラー商品である「ハッピーターン」。
ずっと人々の支持を受け続けているということですが、製品パッケージには「とまらないおいしさ」と書かれています。
正にこれが、報酬系の話に関する「やみつきの味」なのではないでしょうか。
炭水化物の塊である米菓に、うま味と油脂と塩と砂糖をまぶして食べる。
人間は、こういった不健康なジャンクフードに、「やみつき」になってしまいがちな生き物だということです。
ここから考えても、「だし」ではなく「うま味」の生理的快に人間は執着していると思われませんでしょうか。
ハッピーパウダーに含まれる「たん白加水分解物、調味料(アミノ酸)」は、あくまで「うま味」であって、香りや他の要素を含んでいたりしませんので「だし」ではないわけですから。
【生理的快に溺れないために】
まず、私たちの味覚機能は意外に単純なのです。
決して高度な機能を備えているというわけではありません。
五味と呼ばれるようなシンプルなものにしか対応できず、原始的な機能です。
ハッピーターンを食べまくることで報酬系の原始的な味覚欲求を満たしたとしても、それが健康に悪そうなことは、誰の目にも明らかでしょう。
であるからこそフジワラコウさんのおっしゃる「感性の快」という観点が必要なのだと思います。
ただ、感性と言われても、そういったものは一朝一夕に得られるものではありませんし、「知識」を併用する必要があるかと思います。
「考えて食べる」「知的な食事」ということでしょうか。
以前に、知り合いの鰹節屋さんが、X(旧 Twitter)で『味覚は教養である』と書いて炎上したようですが、同じような意味合いかと思います。
やはり、知性と縁遠い「生理的快」に溺れず、食事についてもう少し深い理解することが、文化を維持し、私たちの健康につながるのだと考えています。
政治家としても活動されている医師の内海聡さんは、過去に「味の素は覚せい剤の親戚だ」と言って、物議を醸したことがあります。
人間の心身を即座に蝕むドラッグと「味の素」を同列に語るのは、いくらなんでも乱暴で、こういったトンデモ理論には私も賛同できません。
しかし、言いたいことは分からなくもないのです。
味覚機能は原始的であって、味の素等の純粋で精製された「うま味」に「やみつき」が生まれるのだとすれば、それは言い換えるなら「中毒的」あって、そういった意味ではドラッグと似た部分もあるのかも知れません。
ハッピーパウダーによって「生理的味覚ハッピー」になってしまうことは、ドラッグによって「ハッピー」になっている薬物中毒者と構造的に似ているということでしょう。
実際、多くの現代人は「うまみ中毒」と言って差し支えないかと思います。
昔は【甘さ】【うま味】【油脂】【塩味】のうち、少なくとも【甘さ】と【うま味】は自由に付与することができなかったわけです。
うまみ調味料の出現には1908年まで待たねばならなかったわけですし、昔は砂糖は非常に高価でしたから。
それが今や、砂糖はとても安価で甘くし放題。
昆布など使わずとも、安いうまみ調味料によって、強い「うま味」をつけ放題。
こんな時代だからこそ、それに溺れないために「生理的快」だけでなく「感性の快」について考える必要があるかと思います。
【まとめ】
京都に、「仙太郎」という和菓子屋さんがあります。
私が個人的に、先代社長の田中護さんが食について書く文章が好きなのですが、その一部は商品の栞として配布されています。
「おはぎ」の栞に書かれている、次の言葉。
『舌先に阿らず、胃の腑においしさを問う』。

ハッピーパウダーは舌先だけの表面的な感覚であって、「胃の腑にまで」の美味しさでないのは明らかでしょう。
今は食技術が発達していますから、言ってみればもう「まずいものなんて無い日本」です。
激安スーパーで激安加工食品を買っても、特においしくはなくとも「まずい」と言い切れるものなどありますでしょうか。
本当にまずければ、商品として成立しないでしょうし。
とても安いチェーン店の外食なんかでも同様で、特にまずかったりしませんよね。
しかし、これは私の個人的な感覚ですが、そういった食品はまずくないとしても、何か食後感が悪いのです。
真の満足感が得られないと言いますか。
舌先の味覚には上手に対応できていたとしても、それが腹の中に納まった後の満足感。
これこそが、仙太郎さんの言うところの「胃の腑にもおいしさを問う」なのかも知れません。
最近では、腸にも味覚受容体があると言われたりしますね。
やはり人間の舌の機能は表面的で、騙されやすいのではないでしょうか。
私共では、たまに「だしの取り方教室」を開催しているのですが、ご参加者がだしの味をみて、「なんだかホッとする」とおっしゃることが少なくありません。
これは正に、人の感性に働きかけている事例でしょう。
だしを取る人が、もはや少数派となった今、こういったことを理解する人が減っているのだとすれば、非常に残念なことです。
他の感覚器官が関係するものの方が、「感性」が分かりやすいかも知れません。
聴覚で感じるものが音楽だとすれば、それは正に感性であって生理ではありません。
目で感じるものが美術だとすれば、それも同様です。
であれば、味覚と嗅覚を動員して感じる「食」にも、「生理」だけでなく「感性」が含まれるのは当然のこと。
良い音楽の理解には「聴力」だけでなく音楽的教養が必要であるように、良い美術の理解に「視力」だけでない美術的教養が必要であるように。
前述の、Xで炎上した鰹節屋さんが『味覚は教養である』と書かれたのは、そういった意味合いかと思います。
冒頭にも書きましたが、本日の投稿はフジワラコウさんがSNS上で使われた『生理的快と感性の快』という言葉を見たのがきっかけです。
これは、感性が大切な音楽家さんであることも関係しているのかも知れませんね。
(了)