前回投稿、【昆布だしの味 vol.1/3】味のキレって何? ダシと酒について
の続きです。
人のことを悪く言うのは慎むべきだと思いますが、真実を伝えるためにやむを得ない場合もあるでしょう。
今日の投稿は、北大路魯山人の著作について。
高名な芸術家ですし、素晴らしい功績が多いのだと思いますが、魯山人が「だしの取り方」というタイトルで書かれた文章には、疑問を呈さざるを得ません。
少しならまだしも、疑問点だらけです。
古い著作ですから、今は権利が消滅しているようで、誰でも自由に読むことができます。
決して長い文章ではありませんから、まずは下記からご一読下さい。
簡単に言えば、魯山人の「だしの取り方」に書かれている内容は、間違いだらけなのです。残念ながら。
しかし、著者が高名であるが故に多くの人が信じてしまう。
そんなことが想定されるので、本日は注意喚起をさせていただきます。
子供の頃に聞いた歌のセリフに「偉きゃ黒でも白になる」と言うものがありましたが、影響力のある人物による過った情報は、なかなかやっかいなものです。
以下、正しくない部分を抜粋し、私の注釈を入れてご説明させていただきます。
よろしければご一読下さい。
【魯山人「だしの取り方」、正しくない部分のまとめ】
〇本節と亀節ならば、亀節がよい。
(土居注釈: これは嘘です。本節が劣るということはありません。)
〇削ったかつおぶしがまるで雁皮紙のごとく薄く、ガラスのように光沢のあるものでなければならない。こういうのでないと、よいだしが出ない。削り下手なかつおぶしは、死んだだしが出る。
(土居注釈: まず、「死んだだし」という意味が分かりません。「薄く光沢のあるもの」と書かれていますが、切れ味の良いカンナで薄く削れば、光沢は出ます。逆にカンナの刃を出し気味に調整すれば、厚めに削り出され、同時に光沢は少なくなります。しかし、そのような削り節でだしを取っても、味が劣るかどうかは別問題です。)
〇だしをとる時は、グラグラッと湯のたぎるところへ、サッと入れた瞬間、充分にだしができている。それをいつまでも入れておいて、クタクタ煮るのではろくなだしは出ず、かえって味をそこなうばかりである。
(土居注釈: 鰹節が薄く削られているのなら、短時間でだしが出るのは間違いありませんが、「サッと入れた瞬間、充分にだしができている。」は言い過ぎです。
これを真に受けて、鰹節を鍋に投入してすぐ濾してしまう方が現れるかと思いますが、なんとももったいないことです。「グラグラッと湯のたぎるところ」という記述も、なぜ激しく沸騰している必要があるのか不明です。)
(土居注釈: カツオは、世界中の熱帯域を中心に、温帯域まで広く分布していますから、外国人が「かつおを知らない」などということはありません。モルディブやスリランカでは「モルディブフィッシュ」という加工品を料理に使います。加工法は日本の鰹節の製造に比べれば荒いものですが、これは鰹節そのものです。)
〇味、栄養もいいし
(土居注釈: この文脈は、西洋料理との比較でかつおだしが語られていますが、外国のスープと比べて「栄養もいいし」の根拠が不明です。そもそも、鰹節の栄養素のほとんどはダシガラに残存し、それに比べれば、かつおだしの栄養価値は高くありません)
〇料理屋の真似をしてガラスで削るのは危険だし、たくさん削る場合は間に合わないから
(土居注釈: そんな心配をせずとも、家庭でだしを取るのに鰹節をガラスで削る人などいるでしょうか。そもそも、料理屋さんが厨房でガラスを使って鰹節を削ることがあるとすれば、それは料理のトッピング用の「糸削り」です。だしの用途ではありません。)
〇昆布をだしに使う方法は、古来京都で考えられた。周知のごとく、京都は千年も続いた都であったから、実際上の必要に迫られて、北海道で産出される昆布を、はるかな京都という山の中で、昆布だしを取るまでに発達させたのである。
(土居注釈: 昆布は、縄文時代から北海道縄文人によって使われてきた歴史があるようですから、「古来京都で考えられた」は嘘です。また特殊な用途(特権階級向けや、神物への供物として)の昆布の本州への流通は、少量ですが、平安遷都以前から存在しています。庶民にまで広く普及するようになったのは、江戸中期からの北前船による大量物流以後であり、その中心地は大阪です。「昆布だしを取るまでに発達させた」とありますが、昆布は水に漬けておくだけでだしが出ますから、「発達させた」と言うのが何を指しているのか不明です。)
〇昆布のだしを取るには、まず昆布を水でぬらしただけで一、二分ほど間をおき、表面がほとびた感じが出た時、水道の水でジャーッとやらずに、トロトロと出るくらいに昆布に受けながら、指先で器用にいたわって、だましだまし表面の砂やゴミを落とし、その昆布を熱湯の中へサッと通す。それでいいのだ。
(土居注釈: 一度この方法を実験してみてください。ほとんど味の無い白湯のようなものができあがります。)
〇こぶを湯にさっと通したきりで上げてしまうのは、なにか惜しいように考え、長くいつまでも煮るのは愚の骨頂、昆布の底の甘味が出て、決して気の利いただしはできない。
(土居注釈: 「昆布の底の甘味が出て」の部分は、前回投稿にも関係します。次回の投稿でも、改めて詳細にご説明します。)
〇京都辺では引出し昆布といって、鍋の一方から長い昆布を入れ、底をくぐらして一方から引き上げるというやり方もあるが、こういうきびしいやり方だと、どんなやかましい食通たちでも、文句のいいようがないということになっている。
(土居注釈: こんなことを本当にやっている京都の料理人さんがおられるなら、お目にかかりたいものです。また、「文句のいいようがないということになっている」とのことですが、魯山人以外で同様のことを言っている人が、いくら探しても見つかりません。これについても、次回投稿を読んでいただければと思います。)
(了)
次回の投稿、【昆布だしの味 vol.3/3】昆布の厚みと「甘さ」の関係、に続きます。