こんぶ土居店主のブログ

こんぶ土居店主によるブログです。お役に立てれば。

日本の昆布研究は、かなり遅れているのか。また、それ故の展望。

 

さて、気候変動等の理由で天然真昆布の資源に大きな問題が出ていることは、ずっと書き続けている通りです。

これに加え、最近では養殖昆布にも問題が出ることが増えました。

数年前からは、二年かけて栽培する「二年養殖真昆布」の栽培に失敗する事例が多発しています。

また、昨年度には一年で栽培を完了する「一年養殖(促成)真昆布」の種苗生産に、過去にない問題が出ました。

 

非常に困った状況ですが、研究者の方々も新たな道を模索しておられます。

こういった内容は、ずっと昆布の問題について素晴らしい発信を続けて下さっている、産経新聞の北村博子さんの2024年3月19日付の記事を読んでいただければ、理解が早いかと思います。

リンクを貼っておきます。

www.sankei.com

 

本日の投稿では、この記事から以下の3箇所を抜粋し、私なりの補足説明をさせていただきたいと思います。

 

①『昭和40年代、生産量の変動リスクを抑えようと日本初の昆布養殖に成功した』

②『最終目標は「完全養殖」だ』

③『1920年代に、北海道から中国に運ばれた材木に付着していた真昆布を活用し、1950年頃に国策として品種改良による養殖の開発が始まった』

 

そして末尾では、この内容から見える「昆布漁業の未来の希望」に帰着しますので、是非最後まで読んでいただけますと幸いです。

 

それでは、

『昭和40年代、生産量の変動リスクを抑えようと日本初の昆布養殖に成功した』については、過去にもこのブログで書いた通りです。

konbudoi4th.hatenablog.com

この過去投稿の中で、私は吉村さんのことを「世界で初めて昆布養殖を実用化させた」と書きました。

これは、あらゆる海外の事例を調べ上げ、外国で養殖事例が無いことを確認したわけではありません。

海外には、古くからの伝統的昆布文化が無いに等しく、言わば「日本の独壇場」でありましたから、「日本初 = 世界初」との認識で書きました。

それは、北村さんの記事にもある通り、昭和40年代のことでした。

 

そして『最終目標は「完全養殖」だ』と記事にある通り、現在北海道大学が中心になって昆布の完全養殖の研究を進めています。

「完全養殖」とは何を指すかと言いますと、「養殖昆布」を親にして種苗を生産し、栽培することです。

逆を言えば、今の真昆布の養殖はこれではないということです。

つまり、「天然昆布」から胞子を採取して種苗を生産し、栽培しています。

これは①の「昭和40年代」から今に至るまでずっとで、だからこそ今、完全養殖に向けた研究が進められているわけです。

 

しかし同時に、

『1920年代に、北海道から中国に運ばれた材木に付着していた真昆布を活用し、1950年頃に国策として品種改良による養殖の開発が始まった』

とも書かれているわけです。

これは北海道大学教授の四ツ倉典滋先生の談話です。

1950年と言えば、終戦から5年後ですから、日本では戦後復興もままならないような時期でしょう。

そんな時期に「品種改良」と「養殖」が、中国で実現していると読み取れるわけです。

私は過去投稿で、吉村捨良さんの偉業として「世界で初めて昆布養殖を実用化させた」と書いたわけですが、この内容と食い違います。

これは、私が不正確なことを書いている可能性につながり、そうであれば訂正の必要が出てきます。

しかも、天然昆布が自生しているわけでない中国での昆布養殖ということは、それ即ち「完全養殖」であることを意味します。

 

この記載内容の情報を整理すべく改めて調べた中で、東京水産大学名誉教授の有賀祐勝先生の書かれたものを見つけました。

こちらもリンクを貼っておきます。

https://nori.or.jp/essay/pdf/vol_021.pdf

内容としては、四ツ倉先生のお話と非常に近いものです。

該当箇所を抜粋しますと。

 

マコンブ養殖で世界的によく知られるようになったのは中国で、大規模な本格的養殖が大連や山東省沿岸で行われ大きな成果を上げている。中国にはもともとコンブは自生していなかった。その中国でのコンブ生産量は今や世界一であり、すべて養殖によるものである。中国では初めはアルギン酸工業の原料として養殖コンブが利用されたが、現在では食品としての利用も広がりつつある。中国でのマコンブ養殖は、第二次世界大戦後も中国側の要請で中国に残った大槻洋四郎さん(元関東州水産試験場)の技術指導で始まったものである。中国でのコンブ養殖は、「材木に付いて中国に流れ着いたコンブを元に毛澤東主席の指導によってこのように大規模産業として成功した」と言われていた時期があったが、実際には大槻さんの技術指導と後に中国科学院海洋研究所初代所長となった曾呈奎さんによる人工採苗・育苗など種苗生産に関わる技術開発と技術指導によって今日見られるようなコンブ養殖の高生産が成し遂げられたのであり、現在では大槻さんの業績が正当に語られるようになっている。大槻洋四郎さんは 1930 年代に北海道から中国にコンブの種苗を輸入して正式に養殖試験を始めたと言われている。ごく最近、中国の研究者と北海道大学教授の四ツ倉典滋さんの共同研究によって、中国で養殖されているマコンブの元は北海道からもたらされたものであることが DNA の塩基配列の解析によって明らかにされた。 

 

この内容は四ツ倉先生の談話とほぼ同じで、1930年代から、大槻洋四郎さんという日本の海藻研究者が指導して進められたものだとのことです。

やはり「昆布養殖は、日本より数十年も早く中国で実現していた!」との認識で間違いないようです。

今回の北村さんの記事をきっかけとして、私は昆布の専門家としての自分の見識の浅さを恥じることになったわけですが、それと同時に「未来への希望」を強く見出しているところです。

簡単に言えば、日本の昆布生産は大きな問題を抱えているわけですが、それは「遅れているだけ」、ではないかということです。

進むべき道が閉ざされているわけでないことを、中国の事例が示しています。

 

世界の昆布文化の中心である日本で業界に身を置く者として、中国と比較して日本の昆布生産が「大幅に遅れている」ということなど、ある意味悲しい事実です。

しかし、ここはやはり「謙虚に学ぶ姿勢」が必要でしょう。

日本人は根拠のない自信を持つことが多く恥ずべきことだと思いますが、吉村さんの事例を「世界初」と書いてしまった自分もその一人であったということで、なんとも申し訳のないところです。訂正致します。

 

 

今回の投稿は、冒頭で書きました通り、産経新聞の北村博子さんの記事がきっかけでした。

引き続き、北村さんの昆布記事からは目が離せません。

この記事には、後半にもうひとつ大切な内容も書かれていまして、以下の通り抜粋します。

 

温暖化の進行を受け、四ツ倉教授も高水温で育つ昆布の品種改良の研究に取り組んでいる。ただ、品種改良には技術面以外の課題もあるという。

北海道の沿岸を取り巻く形で分布する昆布は、同じ品種でもそれぞれの浜で独自の遺伝的特性をもつ。人工的に作り出した品種を海中に入れると、多様性を壊してしまう恐れがあるという。「今の昆布の良さが失われてはいけない。将来に備えての研究です」と話す。

 

大切なのは「守るために変えていく」ということでしょうか。

現在では、日本全国的に磯焼け傾向が進んでいます。

古くからの種のバランスを尊重するのはとても大切なことですが、沿岸の海底環境悪化が破滅的に進んでいる今、それが自然に回復することが期待薄なのであれば、やはり人間が手を貸すべきであるようにも思います。

そもそも、農業では大昔から品種改良が進められていますね。

場所が陸から海に変わるだけで、意味合いは同じ事です。

 

 

【未来への希望】

天然真昆布が常態化した不作であることを申し上げると、多くの人は「温暖化が原因ですか?」と仰るわけです。

これは、その通りでしょう。

しかし私はこういった言葉を聞く度に、そこに「他責の匂い」を感じ、残念に思うのです。

グローバルな結果に直結するような偉業は起こせなくても、ローカルを改善することならできるものです。

温暖化によって海水温が上がり昆布に逆風が吹いたとしても、その中で希望を見出し、先へ進むことが大切です。

その実現可能性は、先にご紹介した東京水産大学名誉教授の有賀祐勝先生のレポートでも示されているのです。

該当箇所を抜粋します。

 

沖縄におけるコンブ養殖試験は三浦昭雄さんの主導で動き出した。まず千葉県種苗センターのご厄介になって移植試験用のマコンブ種苗を確保した。細いロープに着生した種苗を 1982 年 12 月に沖縄に運び、沖縄県水産試験場研究員の当真武さんのお世話で沖縄本島北部の羽地内海のヒオウギガイ養殖筏に吊り下げてもらい、管理をお願いした。養殖試験の途中経過は当真さんから三浦さんのもとに随時もたらされたが、残念ながら移植マコンブの生長と生残は思わしくなく、わずかの個体が残るのみとなり、翌 83 年 5 月初めに試験を終了することになった。佐々木忠義さん、三浦昭雄さんとともに沖縄を訪れ、5 月 1 日に撤収した。図 2 はその時に生き残っていたマコンブの写真である。最終的にはわずか 3 個体となってしまったが、沖縄の海における初めてのコンブ養殖試験の結果は、全滅ではなく、今後何らかの工夫を加えればコンブを育てることは可能であることを示している

 

このように、なんと沖縄でも一部の昆布は生き残ったのです。

選抜育種による品種改良は、正にこの3個体を育て上げるイメージです。

これこそが、遺伝的多様性の素晴らしさ!!

これは、私が書いた過去投稿を補強してくれる内容でもあります。

今より遥かに温暖であった縄文時代にも、昆布は生えていたようですから。

konbudoi4th.hatenablog.com

 

 

これまでの北海道の昆布漁業は、「根本的な大問題が発生しなかったから、古くからの方法を続けてきた」ということだと思います。

しかし、もう状況は変わってしまいました。

現状は一過性の問題ではありません。

もう「根本的に危機」でしょう。

その危機意識が背景にあってこそ、新たな道へ進む原動力になるのだと思います。

ここ最近は、そんな動きが活発化しているように強く感じるのです。

 

さてさて、今後の昆布漁業の『再生』を見るのが楽しみです。

多くの研究者や昆布漁業従事者が、その未来のために動いて下さっていますが、私も後方支援を続けたいと思います。

また進捗があれば、このブログでもご報告します。

 

(了)