様々な理由によって「肉を食べたくない」人がいます。
その先に、「肉でない肉のようなもの、を食べたい」という、変わった欲求が出ることがあります。
そんな要望に応える「大豆ミート」の需要が高まっています。
味や食感も進化し、肉とそっくりというわけではないにしても、かなり近いところまで来ているようです。
前回のブログ投稿では、『 大豆、未来を支える奇跡の豆』と題し、未来の食糧を考える上での大豆の素晴らしさについて書きました。
本日は、大豆を原料とした代替肉が必要とされる背景と、疑問点についても考えたいと思います。
肉食を避ける方がいて、そう考える理由として挙げられるのは、ざっと下記のようなものでしょうか。
●宗教的な理由
●酪農による環境悪化を避けるため
●肉食をやめることによって生まれる世界の食糧生産の余裕のため
●健康上の問題
●肉食忌避
肉を食べるも食べないも個人の望み通りにすれば良いのですが、最後の 『肉食忌避』については、少しデリケートな問題です。
「肉食忌避」は、ヴィーガンデビューする方々の動機のひとつです。
つまり、「動物を殺したくない」のです。
『ギルトフリー(直訳すれば「罪悪なし」)』という言葉があります。
意味に幅があるようですが、「動物性食品を食べない」ことをギルトフリーと呼ぶこともあるようです。
しかし、これは微妙ですね。
動物を大切にする気持ちは尊いもので素晴らしいと思いますが、その一方で、動物性の食品を食べないぐらいで「ギルトフリー」なはずないのです。
例えば、葉を茂らせて少しずつ栄養を蓄えて地中で丸々と太り、間もなく花をつけて種を結ぼうとする大根。
それを引っこ抜いて食べること。
なんとも残酷で罪深いことです。
結局、人間の本質は「ギルト」に溢れています。
つまりギルトフリーは「罪悪なし」でなく「罪悪感なし」なだけで、絶対的な意味合いでなく主観です。
ですので、個人的に動物を食べないことは自由ですが、そちらの方が優れているという認識に立つのは好ましくないように思います。
しかし実際には、ヴィーガン的ライフスタイルを人に勧める方もたくさんいますね。
私は子供の頃は、肉がとても好きでした。
昔ほどではないにしても、今でも好きです。
少年男子は、とにかく肉が好きな子が多いですが、それはつまり体が強く求めているということでしょう。
こんな状況を考えると、健康な暮らしに栄養面でも、肉が必要ないという考え方には疑問を感じざるを得ません。
そもそも人間は雑食、犬歯もありますね。
原始の人間の暮らしを想像したとき、
●誰かが狩ってきた獣の肉を焼いている香りが漂ってきたり
●誰かが浜辺でアワビやサザエやウニを見つけて獲ってきたり
そんな光景を「美味しそう」と思うのでなく、「かわいそう」だと見る感情が先行するのであれば、それは少し病的であるようにも思います。
「動物を屠って喰らう」という行為を考えるとき、是非見ていただきたい映像があります。
1985年から1994年にかけてNHK教育テレビで放映された番組、『人間は何を食べてきたか』の一部です。
YouTubeにアップされているものを見つけたので、リンクを貼ります。
『人間は何を食べてきたか』(ドイツ人の家庭での豚屠畜と加工品づくり)
https://www.youtube.com/watch?v=2-wQucxEico&t
私はこの映像を見て、ドイツで伝統的に続いてきた見事な営みに感動し、同時に、生きていた豚が肉加工品に変わる様を見ている女の子の眼差しに惹かれましたが、見る人によっては野蛮で醜いものだと感じるのでしょうか。
私は過去に、知人に頼まれて非常に大きな鰤を捌いたことがあります。
その際に、胃袋の中から未消化の大きな鯵やイカが出てきて驚きましたが、そんな光景は非常にグロテスクであまり目に優しいものではないですね。
それでも、それによって魚を食べたくなくなるのであれば、生命力が少し足りないようにも思うのです。
生きることは食べること。
動物を食べても植物を食べても、殺生に他なりません。
つまり人間にとって食料を得るための殺生は「罪悪であり、食の悦び」なのだと思います。
これらは不可分です。
ここから前者の「罪悪」を分離して取り除こうとする発想自体が、少しおかしいように思います。
パックに入ってスーパーに並んだ食品ばかりに触れている「都会的な現代人特有の精神性」の一側面である気がしないでもありません。
「肉食は罪で避けるが、植物は食べる」という価値観は、人間による勝手な命の選別でしょう。
食事の前の「いただきます」は、決して動物にのみ向けられた言葉ではないはずです。
人間を頂点とする食物連鎖のピラミッドでなく、日本人の見方は本来、様々な生物が丸くつながる曼荼羅の関係であるように思うのですが。
大豆に話を戻しますと、日本の大豆の自給率は、わずか7%ほどだとのことです。
ほとんどを輸入に頼っているのですね。
漁業や酪農に比べて、おそらく独占的にコントロールしやすいであろう大豆。
肉食忌避の動きも、農産物のグローバル企業の策略だったりして、などと勘ぐってみたくもなります。
こんな理由もあって、大豆ミートを手放しで礼賛する気には、まだなれません。
大豆を原料とした「代替肉」の先駆的なものは、実は古くから日本にありますね。
「がんもどき」です。
がんもどきの製法は、誰もが知るところです。
しかし、新しい代替肉は、併用される副原料のことや製法についても注視する必要があるかと思います。
次回のブログ投稿では、昆布屋として、「だし」に代表されるうまみ成分の世界と大豆の関りについて書く予定です。
日本伝統の「だし文化」に、大豆が脅威を及ぼします。
(【大豆 vol.3/3】「 だし」とプラントベースの関り、へ続く)