さて師走、鍋物が恋しい季節になってまいりました。
そこでも大活躍、こんぶ土居製品「十倍出し」。
この製品は、鍋物にも便利にお使いいただけますが、レシピ動画をYouTube上で公開しています。
二年前には、こんな簡単なレシピをご紹介しました。
この動画を作成した当時のことは、非常に印象に残っています。
ひどい話に聞こえてしまうかも知れませんが、「世間には、味覚がおかしい人が多いのでは?」と感じたのが、この時だったからです。
本日の投稿は、そんな内容です。
寒い時期になれば、どこのスーパーへ行っても大量に販売されているのが「なべのもと」。
調味済みの液体がパックされていて、鍋に注いで具材を煮れば、なべ物のできあがりというタイプの製品ですが、私が子供の頃にはあまり見かけなかったと記憶しています。
こういった製品なしでは、どうやって鍋料理をつくれば良いのかが分からない人が増えているのでしょう。
前述の「十倍出しレシピ」の動画をつくるにあたり、比較品として大手メーカーの「なべのもと」を買ってみたのですが、その味が「おかしかった」のです。
「おかしい」なんて書けば、「それはお前の主観だろう」と突っ込まれそうですが、
こう考えるのには理由があります。
私が「おかしい」と表現する内容とは、『自分で自然素材からつくれば、こんな味に決してならない』、ということです。
より具体的に言えば、「自分でダシを取って伝統調味料で味をつければ」ということです。
ただ、この「おかしさ」を感じられるかどうかは、普段の食生活次第なのかも知れません。
誰もが私のように「味がおかしい」と感じるのなら、そもそもそんな製品は売れないはずですから。
「普段から、自然素材で料理をしている人」と「あまり料理をせず、加工食品をよく食べる人」、両者に分けた場合、前者の多くは私の申し上げていることを理解して下さると思います。
逆に言えば、後者の方には分かっていただけないかも知れません。
良い自然素材で調理したものの味が、自らの「基準」として存在しないからです。
これは、非常に危険なことだと思います。
下記のような負のスパイラルが発生しかねません。
「料理をしない」
↓
「食品添加物やうまみ調味料が多用された、人工的で強い味の加工食品に頼る」
↓
「その味に慣らされる」
↓
「自然の、淡い本物の味が分からなくなる」
↓
「本物の料理をつくってみても、美味しいと感じない」
↓
「ますます料理をせずに加工食品に依存する」
こんな流れが想定されませんでしょうか。
私がここで言う料理とは、「自然素材と良い基礎調味料でつくること」です。
「なべのもと」のような加工食品を買ってきて、それで具材を煮ることではありません。
加工食品に使われる原材料は、どんどん変化してきています。
古い時代の加工食品は、家庭での調理作業を業者が代行しているようなものであったはずです。
使う素材が大きく違うなんてことは無かったでしょう。
しかし、今は、加工食品メーカーの工場で使われる素材は、家庭の台所で伝統的に使われてきたものと大違いです。
それは、原材料表示を読めばわかります。
このような背景で、「家庭でつくられる本物の料理」と「加工食品」との差異は、大きくなる一方でしょう。
手前味噌ですが、冒頭にご紹介した私共の製品であれば、分類としては加工食品的であっても、原材料が家庭の台所でも使われるものばかりですから、「おかしな味」にはなりません。
こんな製品が普通であれば良いのですが、スーパーなどではほとんど見つからない悲しい現状です。
「料理をしない人が増えている」。
日本のこの現状は、本当に嘆かわしいことだと思います。
健康悪化に、確実につながります。
何も難しい料理をする必要はないのです。
簡単でいいから「生鮮食品や乾物等の素材と、伝統調味料でつくられたもの」が、日常食であることが大切だと思っています。
ところが、残念ながら現実は逆行気味。
前述の負のスパイラルを進んでいるような気がしています。
多くの方が料理をすることの大切さを理解し、より良い健康的な食生活になるような未来は、無いものでしょうか。
高知大学の名誉教授であった志水寛先生(故人)は生前に、「食に携わる者は、聖職者である」と言われたそうです。
これからもこんぶ土居は、ナゾの食品添加物やうまみ調味料を使用することなく「健康に資する本物の食品」をつくり続けたいと思います。
それを理解して下さる方が増えて欲しいので、情報発信も続けます。
さぁ皆さん、料理をしましょう。
料理は、私たちの日常に残された「最後の創造行為」です。
本当に大きな価値があると思っています。
(了)