こんぶ土居店主のブログ

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故・吉村捨良氏の功績に学ぶ

 

以前から度々投稿しております、天然真昆布大不漁の問題。

私たちは、何とかしてそれを解決していかなければいけない訳です。

簡単に結果が出ない難問に、根気強く挑んでいく必要があります。

その最前線に立つのは、やはり昆布漁師さん達でしょう。

本日の投稿は、より良い昆布漁業のために尽力し、素晴らしい功績を挙げた先人のお話です。

 

 

私は、平成16年から毎年、最高級の真昆布産地である北海道の旧南茅部町「川汲浜」を訪れ、漁師さんのお手伝いなどをしてきました。

その最初の年、右も左も分からない私を受け入れてくれたのが、タイトルの「吉村さん」宅です。

 

 

タイトルに書きました吉村捨良(故人)さんは、当時既に80歳の高齢でしたから、お仕事はご子息の良一さんが中心となっておられました。

平成15年に「南かやべ漁協」として周辺浜と合併されるまでは、「川汲漁協」として独立した組織が存在し、良一さんは川汲漁協の最後の組合長を務めた方です。

三代目の時代からのご縁もあって、「浜の仕事を手伝ってみたい」との申し出を、吉村良一さんが快く受け入れてくれた次第です。

 

 

川汲での天然真昆布漁は、通常三人態勢で舟に乗り込みます。

昆布を採る漁師さんと、助手二名です。

助手の内訳は、海流や風で動きがちな舟を漁師さんが仕事しやすい位置に保つ「トメシ」という役割と、採取された昆布を船上の定位置に揃えて積み上げる「中乗り」という役割です。

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良一さんは、奥様とお嬢さんとの三人態勢で漁をしておられましたから、私はお父様の捨良さんの舟で「中乗り」としてお手伝いさせていただくことになりました。

 

 

下の写真は、平成16年当時の吉村捨良さんです。80歳のご高齢でも、とても力強い仕事ぶりでした。

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実は、この吉村捨良さん、ただの漁師ではないのです。

昆布漁業の「伝説的人物」として扱われるべき人だと思います。

最も革命的な功績は、日本で初めて昆布養殖を実用化させたことです。

 

 

まず、天然真昆布漁は夏場の限られた時期しかありません。

水揚げ後すぐ乾燥させ、その後の時期は、製品として流通させるための陸上での仕事が続きます。

そんなお仕事が一段落した頃、昭和40年代に昆布養殖が実用化されるまでは、多くの漁師さんは出稼ぎに出るのが普通であったのです。

そもそも昔から天然真昆布の漁獲量は年による変動が大きく、それだけでは漁家の生計が成り立たなかったのです。

出稼ぎ期間中、ご家族と離れて遠方で暮らすことは、決して好ましいことではないでしょう。

実際に吉村さん宅でも、良一さん曰く「おやじは漁期と正月以外、家にいなかった」とのことです。

そんな昆布漁家の暮らしを、出稼ぎから解放したのが「昆布養殖の実用化」であったわけです。

実は吉村さんの成功以前にも、数限りない人達が昆布養殖に挑んでいます。しかし、長く実現しない困難な事業でありました。

 

 

 

そんな難しい問題に挑み、日本で初めて突破口を開いた吉村さん。

  私が初めて昆布産地を訪問し、同じ舟に乗って共に仕事をさせていただいたのが、こんな方であったのは望外の幸運であったと、今になって改めて思います。

実は、私が初めて浜へ出向いた平成16年、滞在は一週間ほどでしたが、その期間中ずっと吉村さん宅に泊めていただいていたのです。

食事も全てご用意していただき、ご家族の皆さんと一緒に頂いています。

もうホームステイのような状態でしょうか。

そんな日々ですので、一日の仕事が終わって夕食も済めば、捨良さんから色々なお話を伺うことができました。

 

 

捨良さんは、昆布漁師というより、エンジニアのような方でした。

昆布養殖施設の設計以外にも、天日乾燥に代わる良い機械乾燥についての持論をたくさん伺いました。

ただ昆布が乾けば良いというものでなく、捨良さんの目は良い品質の昆布に仕上げることに常に向いていたのが印象的です。

そのあたりのことは、南茅部町史にも記されていますので、下記リンクからご一読ください。

南茅部町史・第六編『漁業』

現在でも使われている、養殖昆布の水揚げ後に使う昆布洗浄機も、原型は捨良さんが考案されたものです。

 

下に、北海道新聞が捨良さんを取材した記事を載せておきます。

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この新聞記事にも書かれていますが、昆布養殖の実用化へ吉村さんとタッグを組んだ、水産庁北海道区水産研究所の所長を務められた長谷川由雄氏。

私は長谷川さんにお会いしたことはありませんが、こちらも負けず劣らず立派な方です。

 

2002年の北海道新聞の取材に対しては「養殖技術で打ち出の小槌のようにコンブが収穫できるように思えるが、天然物が生育できない環境では養殖も難しい」とコメントしておられます(本投稿末尾の新聞記事をご参照下さい)。

 

現在の状況を見透かして警告したような、なんとも感服の先見の明。

この言葉が、養殖昆布の産みの親から出たものであることも特筆すべきところでしょう。

過去には、昆布の浜に見事な成果を残す偉大な方が居たんですね。

 

 

時代時代で私たちが直面する問題は変わります。

それでも、各世代でそれぞれに解決すべき課題が存在し、それに立ち向かって突破口を開いた先人がいたわけです。

吉村さんの功績に学び、現在の危機的状況に立ち向かい、明日の昆布漁業をつくる若い意欲のある漁師さんがきっと出てくることでしょう。

 

こんぶ土居では、微力ながら次世代の漁業者の育成にも関わってきました。

そんなお話はまた改めて書かせていただければと思います。

(了)f:id:konbudoi4th:20210724145947j:plain