こんぶ土居店主のブログ

こんぶ土居店主によるブログです。お役に立てれば。

【お知らせ】Dashi Culture Project だし文化プロジェクト

地域文化の魅力の再発見、継承のためのウェブサイト「ローカルカルチャースクール.jp」。
文化庁の委託事業の第一弾として「だし文化」について、5本の動画が制作されました。
こんぶ土居は、大阪の昆布文化や現在の海産物が抱える課題についてお話させていただいています。
宜しければ、下記サイトから動画をご覧ください。

《大阪昆布文化と未来の話》localcultureschool.jp


動画視聴にあたり寄付金を募っていますが、0円を選んでカートに入れていただければ、無料で視聴することもできます。

 

 

改めて、ヴィナイオータのワイン

前回のブログ投稿で、味を正しく評価することの難しさについて書きました。

今日のお話も、それと少し関係しています。

 

味覚上の判断をしなければならないものはたくさんありますが、その中でもワインは「味の評価軸」が比較的明確になっている分野であるように思います。

ソムリエさんは、分析的にワインの味を表現しますし、ワインコンクールでの評価などもありますから。

しかしそれとて「ひとつの権威が設定した物の見方」に過ぎないのかも知れません。

  

2020年11月7日に「燃えるワインインポーター『ヴィナイオータ』」というタイトルで、ブログを投稿しています。


本日は改めて、良いイタリアワインのインポーターであるヴィナイオータさんのお話です。

 

 

まず私はかなりアルコールが弱い体質ですし、日常的にお酒は飲みません。

ですので、ワインについての知識も皆無に等しいでしょう。

詳しくない人間は、ワインを選ぼうにも何を基準にして良いのやらさっぱり分からないものです。

 

 

それが最近では、良いワインを販売しておられるお店へ行って、イタリアコーナーに進み、輸入者が「ヴィナイオータ」となっているものを選んでばかりです。

そうして何種類か試飲させていただいた結果の感想ですが、新しい世界が開かれたように感じています。

どれを飲んでも、素晴らしく楽しい体験をすることになるのです。

 

 

これは、カルチャーショックに近いものです。

今までワインだと思っていた世界のものから逸脱するような味に、度々触れることになります。

恐らくヴィナイオータさんで輸入されているワインは、権威のあるワインコンクールで賞を取ったり、そういったことと無縁のワイナリーのものが多いのではないでしょうか。

むしろ、一部のワインずきの方からは酷評されそうな味のものもあります。

 

しかしそんなワインの味が、なんとも不思議なもので、一瞬違和感を覚え当惑させられるようでありながら、同時に滋味深く、余韻に浸りながら飲み進めてしまうような、不思議な魅力に溢れています。

  

 

また、酒が弱い人間にはよく分かるのですが、体に優しいのです。

所謂ナチュラルワインと呼ばれる世界ですので、ぶどうの栽培方法や醸造方法も非常に自然で、そんなところが関係しているのだと思います。

明確な理屈は分かりませんが、質の悪いお酒ほど体にダメージを与えることは間違いないでしょう。

 

 

改めて、味の評価軸の設定も難しいものです。

前回のブログで、「歴史を伴った、その道の人たちの評価」が大切だなどと書きましたけれど、それとて万全でないことを示しています。

これまでの一般的なワインの味の見方が、悪いと言うことではないにしても、その価値観では評価されなかった世界にも素晴らしいものがあるのです。

 

 

ヴィナイオータのワインに触れてみることは、おいしいとかまずいとか、そんなこと以上の、「食の学び」を与えてくれると思います。

近日こんぶ土居でも、ヴィナイオータさんが輸入された素晴らしいイタリア食材の販売を始めます。

あいにく酒販免許がないので、ワインは取り扱うことができませんが。

これらの食品も、本当に驚くべき品質のものばかりです。

店頭でもネットショップでも販売致しますので、ご期待下さい。

 

 

最後に、ヴィナイオータさんのウェブサイトのトップページに記載されている文章をご紹介したいと思います。

是非ご一読下さい。

やはりものづくりに哲学は必要ですし、作り手だけでなく、世に正しく伝える人の役割も大切だと、改めて思います。

 

 

ヴィナイオータとは

ヴィナイオータは…インポーターです。

同時にヴィナイオータは、僕オータの想いや考えを表現するための場でもあります。

ワインを中心に、生ハム、パスタ、穀類、オリーブオイル、バルサミコ酢やジャム等の保存食も扱っているのですが、それら物質的なモノだけにとどまらず、それらが生み出された背景にある、造り手の想い、哲学、理念さえもしっかり輸入したいと本気で考えているインポーターです。

自然に対して畏怖の念を抱いているのなら、自然環境に最大限の敬意を払った農業を心がけるでしょうし、ヴィンテージやテロワールなど、その年、その場所、その土壌の“自然”が余すことなく反映されたワインを理想とするのなら、醸造時に過剰な介入はしないでしょう。

不思議なことに、このように造り手が“我”を捨てて、その時、その瞬間の良心に従ってできたプロダクトには、唯一無二の個性が付与されます。

年の個性、土地の個性、品種の個性、そしてヒトの個性…

ヴィナイオータは、そういった造り手の良心、覚悟、情熱などが詰まったプロダクトがもたらす感動を皆さんと共有すべく、熱苦しくご紹介することをモットーとしているインポーターです。

ヴィナイオータ代表 太田 久人 

味の評価軸(昆布の粉末のはなし、後編)

 

 

前回の投稿で、臆面もなく「こんぶ土居の昆布粉は品質が素晴らしい」などと自画自賛しておりましたが、「味覚の面で品質が高い」と、何を以て言うのでしょうか。

これは、実は難しいところです。

そう感じさせる事例に、先日遭遇しました。

 

 

こんぶ土居は「良い食品づくりの会」という、食品生産者の研修の集まりの会員です。

http://yoisyoku.org/

 

この会で共に学ぶ会員さんはたくさんおられますが、鰹節屋さんの会員もあります。

私共のネットショップでも小売り用の鰹節を販売しておりますが、その作り手である東京の「タイコウ」さんです。

 

 

良い食品づくりの会には「認定品」というシステムがあり、他の会員によって、ある生産者会員の製品が認定品にふさわしいか審査されます。

先日、この認定審査にタイコウさんの新製品が出品されました。

「いつものだし粉」という製品です。

製品としては非常にシンプルで、鰹節と煮干しと昆布の粉末をブレンドしただけのものです。

だしを取るのがめんどくさければ粉のまま入れてしまってはどうか、というコンセプトですね。

 

 

 

前述の良い食品づくりの会の審査方法は多岐に亘りますが、当然味も見るわけです。

会では「官能検査部会」と呼んでいますが、同カテゴリーに属する他社製品を用意し、比較しながら味が優れているかを確認しています。

 

 

私も味を見せていただいたのですが、比較品とは驚くほどの差がありました。

実は私が比較品を選定したのですが、メーカーによって公表されている素性を参考に、良いと思われる比較品を選んだつもりです。

しかし、タイコウさんの製品は、圧倒的に高品質でした。

おいしさの理由はおそらく単純なことで、良い原料を集めてきたというだけのことだと思います。

昆布の粉は私共で製造したものをお使いいただいております。

煮干しについても非常に高品質なものをご用意され、それを一尾ずつ手で割り、内臓とエラを取り除いて粉末化しているとのことです。

鰹節についてはご専門ですし、そんな原料を使えば美味しくなって当然です。

 

 

「美味しい」と簡単に書きましたが、では、だしの粉末がどんな味であれば「おいしい」と呼べるのでしょうか。

私が「いつものだし粉」を高品質であると申し上げた理由は単純です。

「含まれているべき良い味や香りが強く、同時に雑味が少ない」ということでしょうか。

 

味覚と嗅覚に分けて考えますと。

味覚については、だしには「苦み」や「酸味」「渋味」などは少ない方が良いですね。 

それに対して、所謂うまみ成分は、当然多い方が良いでしょう。

嗅覚から考えると、粗悪な原料を使えば、いやなにおいがあるものです。

例えば、鰹節や煮干しについては原料魚の鮮度が影響し、魚くささや酸化臭があると高品質だとは言えないでしょう。

昆布も同様で、昆布の素性によっては、海藻臭いような特殊な風味が気になるものです。

良い味や香りは歓迎だが、不要な要素は少ない方がいいということです。

 

 

 しかし、不要な要素を、それが「不要」であると、どのように認定するのでしょうか。

雑味と呼べそうなものでも、その風味が好きだという方がいた場合、どう考えれば良いのでしょうか。

こういった状況では、「所詮、味なんて、人それぞれの好みじゃないか」という話が出てくる場合があります。

 

 

 

 

実は、前述の良い食品づくりの会の官能検査時にも、少し評価が分かれたのです。

私ならタイコウさんの製品に良い評価をしますが、そうでない部会員もいたということです。

私は昆布屋ですから、言ってみれば「その道の人」ですが、だしそのものの味を見慣れている人など、実は世間では少数派なのかも知れません。

そんな方には、そもそもどんな評価軸で考えれば良いのか、悩んでしまうのかも知れません。

結果、「なんとなく」の評価がされる場合があるように思います。

 

 

 

 

 こんな一件から、今回のブログは「味の優劣」と「味の好み」について書いてみることにしました。

少し難しくデリケートなテーマですが。

 

結論から申しますと、完全な「優劣の線引き」は簡単では無いと思います。

しかし、「好み」と片付けてしまうことには、やはり賛同できません。

 キーになってくるのは、「歴史を伴った、その道の人たちの評価」でしょうか。

 

 

他の分野を考え合わせると理解しやすいかと思います。

私は食の業界に居ますので、主に動員するのは味覚と嗅覚ですが、他の感覚で判断する分野もありますね。

例えば、美術品を目で見たり、音楽を耳で聞いたり。

私は美術や音楽に関して知識も無ければ才能もありませんので、そういったものを正しく判断する能力を残念ながら持ち合わせていません。

音楽の演奏に良いものとそうでないものがあり、美術品に優れたものとそうでないものがあるのなら、食品についても同じでしょう。

ですので、食べ物の味を『好み』で片づけてしまうのは、やはり正しくないと思います。

食に関しては、健康にも関わってきますから、尚更です。

 

 

また、「多数決でもない」と考えています。

非常に失礼な言い方になって甚だ恐縮ですが、「味の分からない方」は相当数おられますので、品質の高くない物が好評を博すことは考えられないことではありません。

特に食べ慣れないものに関しては、そうなるリスクは高いように思います。

 

 

 

 

前回の投稿で、私共の昆布粉を「圧倒的にに高品質だ」等と書きましたが、その一方で、売れに売れているわけではないのです。

これはひょっとすると、そう感じておられない方も多いということかも知れません。

もちろん価格のことも関係するかとは思いますが。

 こう考えると、良い食品を作る生産者には「適正規模」があって、そもそも売れまくるような状態を望むべきでないとも思います。

 

 食品製造者の本分として、一人でも多くの方に喜んでいただけるものを作ることは大切でしょう。

しかし、基本的にこんぶ土居では、最大公約数を狙ったような製品は作りません。

ひとりよがりなようで甚だ恐縮ですが、根拠を伴って私が良いと思ったものをご提供します。

それが結果として、買って下さった方の喜びにつながることを望んでいます。

 

 

 

世間には、「あるべき原料とあるべき製法」から逸脱した、イミテーションと呼べそうな食品も存在し、意外にそんな製品が売れていたりもしますので、それについては特に注意が必要かと思います。

 しかし幸い、昆布の粉にはイミテーションは無いでしょう。

さほど高品質でない原料を使って作った昆布粉が、用途によっては問題なく使えたり、一部の場面では、そのようなものの方が適していることさえ起こり得ます。

 ですので、私共以外の昆布粉製品を「悪く」言うつもりはありませんし、それにはそれの存在意義があるわけです。

ただ、本当に良い原料をつかってコストもかけて作っていますから、その違いが理解されて欲しいとは思います。

こんぶ土居店頭で販売している昆布粉は、献上昆布たる白口浜天然真昆布100%です。

こんな明確な素性の高品質な原料でつくったものはないと自負しています。

 

今回の投稿内容は、一部に私の「愚痴」や「嘆き」が含まれているようで申し訳ありません。

 

 

 

味を判別することについても、昔の人は優秀だったのかも知れません。

古い時代から昆布に格付けが存在したことは、改めてすごいことだと思います。

昆布の品種もたくさんある中で、真昆布だけには地名を冠することなく「真」という文字をつけたり、同じ真昆布エリアでも「浜格差」と呼ばれる採取地の格付けをしたわけです。

そんな「良いものを判別する感覚」が現代人に失われているのかも知れません。

 食の業界にも、食品自体に関心があるのでなく、そこから得られるお金のことばかりを見ている人が多いような気もします。

 

 

幸いにも私共の仕事は、「良い食品」を正しく判別できるお客様に支えられています。

その方々に向けた仕事は今後も変わりませんし、ご期待を裏切らないよう良い製品づくりに努力したいと思います。 

また、良いものを理解していただき易いように、情報や体験の機会の提供も充実させていければと考えています。

(構想あり)

 

 

 

 

昆布の粉末のはなし(前編)自社製品自慢

こんぶ土居の製品に「昆布粉」があります。

これは、類似品が他社にたくさん存在しますので、言ってみれば「ありふれたタイプの製品」です。f:id:konbudoi4th:20210303163851p:plain

かなり前になりますが、漫画「美味しんぼ」にも取り上げられました。

その際に、原作者の雁屋哲先生が書いて下さったことで嬉しかった内容が、下記ページに含まれています。

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小学館発行「美味しんぼ89巻」より引用)

 『健康食品売り場で売っている昆布粉を試しに使ってみましたが、土居のものとはまるで別物』

 

 

つまり、雁屋先生は、ちゃんと他社製品を手に入れて、味の比較をして下さっていたわけです。

その上で、私共の製品の良さを感じていただけたようでしたから、とても嬉しく思いました。

 

 

先日ある方が、他社の昆布粉に存在する欠点を次のように表現されました。 

●粘る(ついでにダマになる)

●臭い

●えぐい

●後口が悪い

●残り香が悪い

●酸っぱい

●だしが出ない

  

 

こう評された方によりますと、私共の昆布粉は上記のような欠点がないそうです。

昆布の粉末など、機械で粉砕すればできるわけですから、製造方法に大きな違いがあるとは思えません。

味に違いが出る理由は、ひとえに原料の違いでしょう。

粉にしてしまうと元の昆布の姿は見えませんし、できあがりの昆布粉末の見た目など、どんな原料を使っても大差はありませんので、粗悪な原料を使うのかもしれません。

 

 例えば、2020年12月17日の投稿「ウニと昆布の困った関係」でご紹介した昆布の「ガニアシ」。

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ウニの飼料としての活用を模索していることをご紹介しましたが、実は当初、このガニアシは食品としての利用が考えられていたのです。

かつて昆布産地の漁業協同組合が、私共にこの粉を送って来られ、何かに使えないとご相談いただいたことがありました。

そのときに初めて味をみたのですが、当時本当に驚きました。

私共の昆布粉と同じ産地のものです。

品種も同じ真昆布です。

それでも、完全に別物といって良い、圧倒的な味の違いがありました。

 

仮にこれを市販したら、商品プロフィールとしては、「南茅部産真昆布粉末」などと書かれ、私共の製品と大差無いように映るのかも知れません。

 

 

自慢のようになってしまいますが、やはり私共の昆布粉は、「圧倒的に高品質」だと思います。

ただ、当初はそれほど特別だとは思っていませんでした。

なにしろ、普通の仕事をしただけです。

普段使っている昆布を、機械にかけて粉にしただけなのです。

 

 

私共が当たり前の食品製造の在り方だと考えてきた

『品質の良い原料を用意して、普通に良いものを作る』

実はこれは当たり前でなく

世間一般的には、

『できるだけ安い原料を用意して、なんとかごまかして普通の品質に見せる』

なのかも知れません。

 

後者のような製品も、全く何の意義もないかと言えばそうではないかも知れませんが、良いものとの違いは理解されないと、作り手としては悲しいものです。

そもそも、粗悪な原料を使ったとしても、それを正直に言うメーカーなどあるはずがないので、欺瞞もいくらか含まれることでしょう。

 

 

もし私共の昆布粉をお使いいただく機会があれば、是非他社製品も手に入れて、味の違いが生まれる背景について、少し考えていただけると非常に嬉しく思います。

 

 (次回投稿、味の評価軸(昆布の粉末のはなし、後編)へ続きます)

 

【大豆 vol.3/3】「 だし」とプラントベースの関り

さて、前回の続きです。

大豆の話を書いていて、それが「だし」と何の関係があるのだと感じる方もあるかと思いますが、意外に関連性があるようです。

例えば、「だし」や「スープ」のようなものを用意する際、日本では伝統的に昆布や鰹節、煮干しなどが利用されてきました。

その中には所謂「うまみ成分」と呼ばれるものが含まれるわけですが、アミノ酸の味が大きく関わっています。

 

基礎知識をおさらいしておきますと、人間の生命を維持する上で最も大切な栄養素、所謂「三大栄養素」のひとつに、たん白質があります。

たん白質には、味があまりありません。

それに対して、たん白質が分解されてできる「アミノ酸」は、強いうまみを呈することが多いです。

 

味噌や醤油も、その一例です。

これらの伝統調味料は、大豆に多く含まれているたん白質を発酵の力を利用してアミノ酸に変えて豊かな味を生んでいる、と捉えることもできます。

 

ただ味噌や醤油は、その独特の風味が料理によっては求められていない場合もあるでしょう。

たん白質を分解してアミノ酸を取り出す別の方法として、塩酸や酵素による分解が挙げられます。

これは言ってみれば、うまみ調味料のひとつである「たんぱく加水分解物」に近いものです。

うまみ調味料の技術革新は目覚ましいものがありますので、動物性の素材を使わずとも、大豆たん白質の分解物を利用して、ある程度のレベルのものを作りだすことができる技術が培われているようです。

 

 

 事例をご紹介します。

 全国的に店舗を持つ「一風堂」というとんこつラーメン屋さんがあります。

私は、昔は結構ラーメンが好きだったものの、今ではなぜかあまり惹かれず全く食べなくなりましたが、先日、勉強のために食べに行ってきました。

何の勉強かと申しますと、純植物性ラーメンを体験しに行ったのです。

とんこつラーメンのお店なので、本来は豚が大切な材料であるわけですが、一切の動物性原料を使用せず、とんこつラーメン的なものを作ったというニュースを目にしたのです。

「プラントベース赤丸」と名付けられていました。

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 麺には卵なし、スープにも豚を使わず、チャーシューのように見えるものも大豆ミート、そんなラーメンです。

見た目は、とんこつラーメンとは少し違うでしょうか。

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味も、トンコツそっくりというわけではありませんでした。

 しかし、大切なのは、そこではないのです。

当日私は、ノーマルの「赤丸」と呼ばれるとんこつラーメンと、この「プラントベース赤丸」を一杯ずつ、計二杯食べました。

 

比較して分かるのは、「プラントベース赤丸」は、とんこつラーメンとは異質のものであったとしても、一杯のラーメンとして考えたときの満足感に大差がないということです。

とんこつラーメンだと思って食べてしまうと、「こんなのはとんこつラーメンではない!」という反応になってしまうかと思いますが、「とんこつラーメンと共通要素を持つ、新しいジャンルのラーメン」と捉えてしまえば、特に不満のないものでありました。

明確な製法はよくわかりませんので、その部分は少し警戒心を持って見るべき部分であるかと思います。

それでも、多くの人に普通の満足感を与えるであろうラーメンが、トンコツどころか、動物性の素材を一切使わずに作ることができるのは、大きな驚きでした。

宗教上の理由によって豚肉が食べられない人もいますし、ヴィーガンの方々向けであったり、一風堂が「プラントベース」のラーメンを作ったことは、こんな背景もあるようです。

 

 

それはそれとして。

今後もこれまで通り、日本の伝統的な食材でだしを取れれば良いのですが、それに逆風が吹き始めています。

例えば、日本のだしに大切な役割を果たす鰹節が直面している課題は、下記のようなものでしょうか。

 

① 原料魚の資源が乱獲等によって枯渇傾向にあること

② 昔ながらの家内工業的に小規模で製造されることが多く、労働生産性が低く製造コストがかかること

③ 加工業者の高齢化に伴い、作り手が少なくなっていること

④ 魚類の加工品として、世界的に通用する高度な衛生基準をクリアするのが簡単でない

 

これら①~④について、大豆を加工してうまみ調味料的なものを製造する場合は

① 大豆は大量に栽培することができるので、安定供給が可能

②③ 大規模な工場生産が可能なので労働生産性が高く、安く大量の製造に問題なし。

④ 植物性なので、求められる衛生管理基準が漁獲物よりも低い

 

このように、鰹節が抱える問題を、簡単にクリアしてしまいます。

一方で懸念事項としては、安全性に関するものと、文化の無い味の画一化でしょうか。

 また前回のブログで書いたように、時代とともに肉食忌避の方やヴィーガンの方々が増えていることも、煮干しや鰹節のだしの衰退につながるように思います。

 

このように考えますと、大豆を使った新しいタイプのスープには、大きな未来が開けているように思います。

特に普通の加工食品には、こういった成分が頻繁に使われることになるでしょう。

それに対し、日本の伝統的なだし文化の衰退傾向は、しばらく止められないような気がします。

昆布は動物性食品ではありませんが、生産に関する背景は同じです。

 

 

衣食住で考えた際、「食」以外の、「衣」と「住」についてもそうですね。

私たちは日本人であるのに和服をほとんど着ませんし、伝統的な日本家屋に住んでいる日本人の割合は決して多くはないはずです。

こう考えると、日本の伝統食文化も、私たちの生活の基本というよりは、「食の一分野」になっていくようにも思います。

 

それでも、私は是非、日本の伝統のだしの良さを知ってもらいたいです。

日々の生活に、どれぐらいの頻度で、どれぐらいの深さで取り入れるのかは、個人個人で決めれば良いことですが、なにしろ日本のだし文化は世界中で評価されている素晴らしいものです。

自分が生まれ育った土地の、非常に優秀な食文化を十分知らないまま、というのは如何にも悲しい話ですね。

逆風ばかりで見通しは明るくありませんが、日本のだしの美味しさと価値を多くの方がご理解下さることを願っています。

 

良い昆布でも良い鰹節でも、今なら普通に手に入ります。

その状況は、果たして数十年後に、どうなっているのでしょうか。

長く世代を越えて受け継がれていくよう、豊かな自然を守ることを大切にしたいと思います。

 

 

【大豆 vol.2/3】 大豆ミートと、肉食忌避への危惧

 

様々な理由によって「肉を食べたくない」人がいます。

その先に、「肉でない肉のようなもの、を食べたい」という、変わった欲求が出ることがあります。

 そんな要望に応える「大豆ミート」の需要が高まっています。

 味や食感も進化し、肉とそっくりというわけではないにしても、かなり近いところまで来ているようです。

 

前回のブログ投稿では、『 大豆、未来を支える奇跡の豆』と題し、未来の食糧を考える上での大豆の素晴らしさについて書きました。

 本日は、大豆を原料とした代替肉が必要とされる背景と、疑問点についても考えたいと思います。 

  

 

肉食を避ける方がいて、そう考える理由として挙げられるのは、ざっと下記のようなものでしょうか。

 ●宗教的な理由

●酪農による環境悪化を避けるため

●肉食をやめることによって生まれる世界の食糧生産の余裕のため

●健康上の問題

●肉食忌避

 

 

肉を食べるも食べないも個人の望み通りにすれば良いのですが、最後の 『肉食忌避』については、少しデリケートな問題です。

 

「肉食忌避」は、ヴィーガンデビューする方々の動機のひとつです。

つまり、「動物を殺したくない」のです。

 『ギルトフリー(直訳すれば「罪悪なし」)』という言葉があります。

意味に幅があるようですが、「動物性食品を食べない」ことをギルトフリーと呼ぶこともあるようです。

しかし、これは微妙ですね。

 

動物を大切にする気持ちは尊いもので素晴らしいと思いますが、その一方で、動物性の食品を食べないぐらいで「ギルトフリー」なはずないのです。

例えば、葉を茂らせて少しずつ栄養を蓄えて地中で丸々と太り、間もなく花をつけて種を結ぼうとする大根。

それを引っこ抜いて食べること。

なんとも残酷で罪深いことです。

結局、人間の本質は「ギルト」に溢れています。

つまりギルトフリーは「罪悪なし」でなく「罪悪感なし」なだけで、絶対的な意味合いでなく主観です。

 

ですので、個人的に動物を食べないことは自由ですが、そちらの方が優れているという認識に立つのは好ましくないように思います。

しかし実際には、ヴィーガン的ライフスタイルを人に勧める方もたくさんいますね。

 

 

私は子供の頃は、肉がとても好きでした。

昔ほどではないにしても、今でも好きです。

少年男子は、とにかく肉が好きな子が多いですが、それはつまり体が強く求めているということでしょう。

こんな状況を考えると、健康な暮らしに栄養面でも、肉が必要ないという考え方には疑問を感じざるを得ません。

そもそも人間は雑食、犬歯もありますね。

 

 

原始の人間の暮らしを想像したとき、

●誰かが狩ってきた獣の肉を焼いている香りが漂ってきたり

●誰かが浜辺でアワビやサザエやウニを見つけて獲ってきたり

そんな光景を「美味しそう」と思うのでなく、「かわいそう」だと見る感情が先行するのであれば、それは少し病的であるようにも思います。

 

 

「動物を屠って喰らう」という行為を考えるとき、是非見ていただきたい映像があります。

1985年から1994年にかけてNHK教育テレビで放映された番組、『人間は何を食べてきたか』の一部です。

YouTubeにアップされているものを見つけたので、リンクを貼ります。

 

『人間は何を食べてきたか』(ドイツ人の家庭での豚屠畜と加工品づくり)

https://www.youtube.com/watch?v=2-wQucxEico&t

 

 私はこの映像を見て、ドイツで伝統的に続いてきた見事な営みに感動し、同時に、生きていた豚が肉加工品に変わる様を見ている女の子の眼差しに惹かれましたが、見る人によっては野蛮で醜いものだと感じるのでしょうか。

 

 

私は過去に、知人に頼まれて非常に大きな鰤を捌いたことがあります。

その際に、胃袋の中から未消化の大きな鯵やイカが出てきて驚きましたが、そんな光景は非常にグロテスクであまり目に優しいものではないですね。

それでも、それによって魚を食べたくなくなるのであれば、生命力が少し足りないようにも思うのです。

生きることは食べること。

動物を食べても植物を食べても、殺生に他なりません。

つまり人間にとって食料を得るための殺生は「罪悪であり、食の悦び」なのだと思います。

これらは不可分です。

ここから前者の「罪悪」を分離して取り除こうとする発想自体が、少しおかしいように思います。

パックに入ってスーパーに並んだ食品ばかりに触れている「都会的な現代人特有の精神性」の一側面である気がしないでもありません。

 

 

 「肉食は罪で避けるが、植物は食べる」という価値観は、人間による勝手な命の選別でしょう。

食事の前の「いただきます」は、決して動物にのみ向けられた言葉ではないはずです。

 人間を頂点とする食物連鎖のピラミッドでなく、日本人の見方は本来、様々な生物が丸くつながる曼荼羅の関係であるように思うのですが。

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生命誌マンダラ」(JT生命誌研究館ウェブサイトより引用)

 

 

 

大豆に話を戻しますと、日本の大豆の自給率は、わずか7%ほどだとのことです。

ほとんどを輸入に頼っているのですね。

漁業や酪農に比べて、おそらく独占的にコントロールしやすいであろう大豆。

肉食忌避の動きも、農産物のグローバル企業の策略だったりして、などと勘ぐってみたくもなります。

 こんな理由もあって、大豆ミートを手放しで礼賛する気には、まだなれません。

 

 

大豆を原料とした「代替肉」の先駆的なものは、実は古くから日本にありますね。

「がんもどき」です。

がんもどきの製法は、誰もが知るところです。

しかし、新しい代替肉は、併用される副原料のことや製法についても注視する必要があるかと思います。

 

 

次回のブログ投稿では、昆布屋として、「だし」に代表されるうまみ成分の世界と大豆の関りについて書く予定です。

日本伝統の「だし文化」に、大豆が脅威を及ぼします。

 

【大豆 vol.3/3】「 だし」とプラントベースの関り、へ続く)

 

 

 

【大豆 vol.1/3】 未来を支える奇跡の豆

 

こんぶ土居製品で、原料に大豆を使用するものがあります。

「ミネラルいりこん」「ミネラルいりこんスパイシー」「昆布豆」の三種です。

後者2製品は2020年から販売を開始した製品ですので、最近こんぶ土居では大豆を多く使用していることになります。

お陰様で、どの製品も好評ですが、実はこれらの製品をつくった理由に昆布の不作も無関係ではありません。

 

 

以前からお伝えしています通り、海の環境が悪化して原料昆布の価格が高騰し、良い昆布の調達が困難になっていますから、昆布以外のもので製品を作ることに力を入れたわけです。

私共は昆布屋ですのに、なんともつらい状況です。

そんな経緯から得た感想ですが、やはり大豆はすごいのです。

 

世界人口が増え続ける中で、食糧供給は今後も常に問題になります。

例えば、酪農によって肉や乳を生産する際、家畜に飼料を与えますね。

本来の牧畜の意義は、人間が食べられないものを家畜が食べ、それが食べられるものに変わることでしょう。

人間が食べられない草を牛が食べてくれて、牛肉や牛乳が生まれるわけです。

なんとも素晴らしいことです。

しかし現代の酪農では、生産効率を上げるため、飼料として穀物などを多く与えます。

慢性的な飢餓に苦しむ国もあるのに、人間が食べられる穀物を動物に与える。

この構図は、環境破壊や地球温暖化の観点からも、酪農の問題点として度々指摘されます。

 

その一方で、動物性食品の優れているところは、たんぱく質を多く含有していることでしょう。

例えば鶏の胸肉などは、脂質はほとんどなく、炭水化物もほぼ皆無です。

つまり、純粋なたん白質の固まりのようなものです。

こんな食品は、植物性のものでは存在しません。

つまり、植物性の食品だけでは、たん白質が不足しがちになるわけです。

 

そんな植物性食品の中の例外が「大豆」です。

タイトルに「奇跡の豆」と書きましたが、大豆は不思議な作物です。

他の穀類であれ、野菜類であれ、たん白質含有量は決して多くないのが普通です。

その中で、豆類は比較的多くのたん白質を含みます。

根粒菌によって窒素固定がされるマメ科の植物の性質が関係しているのでしょうか。

 

文部科学省の食品成分データベースで栄養成分を参照可能な豆(乾物)について、三大栄養素の含有量(100gあたり)を下記に記します。

 

         【 たんぱく質 脂質 炭水化物 】

あずき               20.8g        2.0g       59.6g

いんげんまめ    22.1g        2.5g       56.4g

青えんどう        21.7g        2.3g       60.4g

そらまめ           26.0g        2.0g        55.9g

ひよこまめ       20.0g        5.2g        61.5g

レンズまめ          23.2g        1.5g        60.7g

だいず            33.9g        18.8g      28.9g

 

上記のように、どの豆も炭水化物が約55~60%を占め、たんぱく質は2割ほどで、脂質の割合は非常に少ないものです。

それに対し、最下行の大豆だけが炭水化物割合30%以下で、代わりに、脂質とたんぱく質が他の豆より突出して多いのがご理解いただけると思います。

なぜか大豆だけが、明らかに違う栄養組成になっているわけです。

これは、一体どういうことでしょうか。

 

植物性の素材で、大豆ほどたん白質を多量に含むものは、他に存在しません。

 

 

 こんぶ土居製品に大豆を利用するようになって分かったことが、もうひとつあります。

それは、「大豆は安い」ことです。

私共ので製品に使用している大豆は、当然ながら良いものを選んでいます。

大豆の専門家ではありませんので、まだ不十分なところもあるかもしれませんが、当然国産品ですし、特別栽培で素性の把握できるものです。

 

こういった大豆でさえ、その仕入れ価格に驚きます。

分けてくださっている方の特別なご配慮もあるのですが、とても安いのです。

私共の大豆の仕入れ価格にゼロをひとつ足したとしても、昆布の仕入れ価格に遠く及びません。

昆布が高すぎると見ることもできますが、あまりの安さに驚きました。

 

私共で仕入れる良い大豆でそれですから、例えば輸入品の遺伝子組み換え大豆などは、タダ同然の価格なのではないかと想像します。

スーパーで安売りされている豆腐などの大豆製品の異常な安さを、以前から不思議に思っていましたが、こんな理由もあるのですね。

農家さんが大豆を生産するのに、恐らくそれほどコストがかからないということでしょう。

生産方法に、機械化が進んでいるのかも知れません。

 

因みに、大豆が主たる原材料のこんぶ土居製品「昆布豆」は140g入りで300円で販売しています。

昔から製造してきました昆布佃煮製品の「椎茸入り」と「山椒入り」は、80gで700円です。

使用している昆布の品質は同じではありませんが、豆を利用した製品が、いかに安価に製造できるかがご理解いただけるかと思います。

昆布はやはり、贅沢品ですね。

 

人口増加が続く世界。

「大豆が世界を救う」、そんな表現も大げさではないのかも知れません。

大豆の利用については、伝統的なもの以外にも新しい可能性がどんどん開けています。

次回のブログ投稿では、大豆が生み出す新しい世界について私が感じる危惧についても書きたいと思います。

 

何でも、良い面と警戒すべき面がありますから。

 

【大豆 vol.2/3】 大豆ミートと、肉食忌避への危惧、へ続きます。)