お正月休みに、書類の整理をしていましたら「月刊SEMBA」という古い雑誌が出てきました。
昭和61年の発行でしたので、ずいぶん昔のものです。
先代の時代の「こんぶ土居」を取り上げて下さっていました。
ぺらぺらとページを捲ってみますと、この雑誌には、他の昆布屋さんのことも掲載されていたのです。
それが、京都の「音羽昆布」さんです。
大変失礼ながら、私は「音羽昆布」さんの存在を存じませんで。
業界向け昆布情報冊子「昆布手帳」の、「京都昆布同業会」のページを参照しますと、数年前までは掲載されていたのですが、手元の最新版2023年版には記載がありませんでしたので、廃業されたのかも知れません。
明治42年開業の、古い昆布屋さんであったようです。
さて、過日の下記投稿で、本日のテーマと似た内容の投稿をしました。
未読の方は、先に読んでいただきたいと思います。
不思議な巡りあわせがあるもので、偶然目にした「月刊SEMBA」で音羽昆布さんが語っておられた内容は、この過去投稿で私がご説明した事そのものでした。
(掲載ページのスキャン画像)
大事な部分を抜粋しますと。
北海道から大阪→京都へ
音羽昆布本舗は明治42年開業。当時この辺りは鮮魚の問屋街。先代が近くで手広くやっていたという丹常昆布店に丁稚奉公、その後たたきあげた店である。「昆布は暖流と寒流の合流するところでないと生育しにくいという性質上、産地の97%が北海道です。送られてくる昆布は一度大阪へ集まり、その後京都に入って来るのが、江戸時代からの習慣でして」とハキハキとした口調のご主人、廣瀬貞治さん。商売人らしい気骨が感じられる。
(中略)
昆布は大きく分けて、真昆布、りしり昆布、三石昆布、長昆布、羅臼昆布、細目昆布など、ほぼ6種類。「特に真昆布の中の白口元揃が最もおいしく、まったりとしたとても良いおだしが出ます」
(以上、抜粋おわり)
私の過日の投稿は、歴史的背景からの推論でしたが、今回の内容は京都で古くから続く昆布屋さんの「証言」です。
情報の補強に、非常に役立つと思います。
過去投稿でも主題にした、下記の2つの事柄。
◆江戸時代の北前船の時代以後、良い昆布の代表格であった真昆布の流通は、主に大阪が握ることになった。流通経路として、京都はその下流であった。
◆「古くからの京都の真昆布文化」なら存在するが、「古くからの京都の利尻昆布文化」など存在しない。
これらは歴然たる事実です。
その一方、ここ数十年「誰かが一生懸命、ウソ情報を流してきた」わけです。
その筆頭に立ったのは京都の料理界ですが、特定の昆布産地や、ある流通業者も加担する形で誤情報が拡散しました。
ウソ情報を流す人は糾弾される必要があると思うのですが、いかがお考えでしょうか。
残念ながら、こういった事は今も続いています。
悪い事例として、本年の元旦の北海道新聞の記事を最後に掲載しておきます。
ジャーナリストの責務として、「正しい情報」を世に出すべきなのは、当然のことです。
私は伝統的な昆布文化の一翼を担うものとして、「誤情報を広める輩」を看過できません。
一人でも多くの方に正しく理解していただきたいです。
(了)