私の曾祖父の土居音七が郷里の淡路島から大阪へ出て、独立開業した1903年以後ずっと、こんぶ土居は大阪の地で営業してきました。
当然私も、大阪生まれ大阪育ちです。
一大阪人として今の大阪を見ると、昔と比べてあまり良い状態ではないように思っています。
言ってみれば、存在感が希薄になってきているように思うのです。
古くは、東の最大都市である首都東京と比肩する西の大都会として、非常に大きな存在感がありました。
特に、1920年代から1930年代の「大大阪」の時代には、人口でも経済力でも東京を超えていたのです。
しかしそんな面影は、遠い過去のものとなったように思います。
例えば、外国人観光客が初めて日本に来る場合、東京へは行くでしょう。
では、その次はどこでしょうか。
関西に来るにしても、京都に関心を持つ人が多いと思います。
大阪は国際空港がありますから、来阪人数だけで見れば多いのかも知れませんが、特段の関心を持ってくる人が果たしてどれほどいるのか。
これは国内を考えても同じで、大阪観光の最大の目的地がユニバーサルスタジオジャパン(USJ)だったりします。
観光の最大要素が、アメリカ発祥のテーマパークとは!、なんたる文化的貧困。
しかし、これが悲しい現実です。
本日は、「食」の観点でもかつての輝きを失ってきているように見える我が大阪の行く末を憂い、忘れられつつある伝統食文化の価値を改めて理解していただき、未来を描くための投稿です。
テーマはタイトル通り、「大阪料理と真昆布、反撃の狼煙」です。
段落としては、以下の通り。
【食の都、とは言うけれど】、【昆布ロード】、【大阪のだし文化が特別である理由】、【ライバル不在、今こそ武器を拾え】、【立ち上がれ大阪人よ!】、【勝手にメンバーリストアップ】、【産地との連携】、【まとめ】
といった流れです。それでは。。
(※今回の内容は、食の分野でもブランディングに大成功している京都との対比の文脈が多くなっています。京都の方には不愉快な面もあるかも知れませんが、ご了承ください。)
【食の都、とは言うけれど】
大阪は「食」については、少しは特殊な存在感を発揮しているかも知れません。
「おいしいもののある街」、との認識は全国的でしょう。
これは昔からで、関西の大都市「大阪」「京都」「神戸」には、特徴を評した呼び名がありました。
「食い倒れ」「着倒れ」「履き倒れ」です。
衣類にお金を惜しまない京都人、靴などの履物にお金を惜しまない神戸人、そして食べるもので散財しがちな大阪人を、それぞれこう呼んだのです。
しかし、「食い倒れの街、大阪」が「着倒れの街、京都」に比べて、今も食の分野で大きな存在感を発揮していますでしょうか。
これらは全国的に知れ渡っていますし、その言葉の響きだけで、何か洗練されたようなイメージを感じます。
一方、「大阪料理」「大阪野菜」もあるわけですが、多くの方はこれに明確なイメージを持てないでしょう。
今は「大阪名物と言えば?」と尋ねた際の答えは、「たこ焼き、お好み焼き」が大多数でしょうね。
しかしこれは、ストリートフードです。
たこ焼きやお好み焼きを低くみるつもりは全くありませんし、私個人的にも大好きですが、「それしか無いのか!」と、一大阪人として嘆かわしく思います。
こんな背景で、お隣の京都の洗練されたイメージに対し、庶民的な美味しいものが安く食べられる「良質B級食イメージ」が醸成されるように思うのです。
マスコミの取材などでも、京都の食を語るときに高級料亭へ行き、大阪の食を語るときタコ焼き屋さんへ行くような、ステレオタイプな構造をよく見ます。
庶民的なものばかりが前に出て、伝統的で洗練されたものが隠れてしまうことによる「B級イメージ」、その払拭は今後の大きな課題でしょう。
伝統を感じさせるような、より洗練された食文化が無いのであれば、仕方ありません。
しかし、そんなことは決して無いのです。
たこやきやお好み焼きを、いくら食べても、散財して「食い倒れる」なんてことに、決してならないでしょう。
古い時代は、京都の人が「おいしいもの食べたいから、大阪へ行こうか」といったことが普通でした。
考えてみれば、これは当たり前。
内陸部ゆえ、地場に良い野菜はあっても新鮮な海産物が手に入りにくかった京都市と、瀬戸内へ続く大阪湾を擁し、あらゆる良い素材に恵まれた大阪。
広辞苑によれば、「なにわ」という地名は一説に、古来より大阪湾が魚介類の豊富な海であったことから「魚(な)の庭」が転じて「魚庭(なにわ)」になったとのことです。
更には、食べ物にお金を惜しまない「食い倒れ」の大阪人気質。
どちらが美味しいものが食べられる土地か、少し考えれば分かりそうなものです。
いつから立場が逆転したのでしょうか。
現在では、物流が発達していますから、最も良い海産物を手に入れやすいのは東京でしょう。
そんな現在であっても尚、「世界的に見て特殊な価値を持つ、洗練された大阪独自の食文化」として挙げられるのは、ただひとつ。
「大阪のだし文化」であるのです。
順次、詳しくご説明します。
【昆布ロード】
次の段落で、【大阪のだし文化が特別である理由】について考えますが、そのためにまず、昆布流通の歴史的変遷について理解を深めていただく必要があります。
少々お付き合いください。
時代を、【江戸時代前期まで】、【江戸中期~明治時代、北前船の頃】、【それ以後】と、三つに分けて考えてみましょう。
また、それぞれの時代に、どの品種が流通していたのかも併せて考えます。
【江戸時代前期まで】
昆布の流通の歴史は、文献を辿れば平安時代にまで遡ることができます。
都である京都へ昆布を運ぶとなれば、産地から日本海側を寄港しながら少しずつ南下し、若狭湾から琵琶湖、そして京都へ、こんなルートでありました。
大阪へ昆布が来るとすれば、その後です。
京都から淀川水系を通り、運ばれたわけです。
では、この時代の昆布品種は、何でしょうか。
平安中期に制定された律令の施行細則である『延喜式』によれば、陸奥国に納めさせる特産品として、昆布が税の指定品目となっています。
つまり、産地は青森県であったのです。
青森で産する昆布は、品種で言えば真昆布です。
少々時代が進んで、津軽海峡を北へ渡り道南地方まで行ったとしても、そこで産するものは、やはり真昆布であるわけです。
明治の北海道の大開拓時代までは、こんな状態が続きますが、北海道は「蝦夷地」。
広域的に開発が進んでいなかったことが主な理由です。
この時代の物流を端的に表現するならば、「若狭湾への海運と、京都へ至る、真昆布流通の時代」と言えるかと思います。
時代を進めまして
【江戸中期~明治時代、北前船の頃】
北海道の産物の本州への大量物流、その時代の幕開けは北前船によるものです。
西廻り航路が開発された江戸時代の中期以後は、北海道の産物は、大量に大阪へ直送されるようになりました。
逆に言えばこれは、先にご説明した【江戸時代前期まで】で物流の主を為していた「若狭と京都の時代」の衰退を意味します。
この時代以後、日本の昆布流通は、大阪が握ることになったわけです。
品種としては引き続き、道南地方の真昆布や、日高地方で産する三石昆布(通称、日高昆布)、更に釧路近辺の長昆布などでありました。
道北地方や知床まで、開発が進んでいなかったことが理由です。
つまり真昆布の流通が、【江戸時代前期まで】は「若狭と京都の時代」であったわけですが、【江戸中期の北前船の時代】以後は、「大阪の時代」となったわけです。
(産地の代表者が大阪の仲買人に宛てた売買契約の証文。明治15年のもの。南茅部漁協川汲支所寄贈品。大阪昆布ミュージアムにて展示中。)
【明治の北海道大開拓時代以後】
昆布の産地である北海道は、江戸時代までは「蝦夷地」、言ってみれば外国のようなものです。
アイヌの方々が暮らす北の島であったわけで、日本人の影響が十分に及んでいたのは真昆布を産する道南地方だけです。
その後、明治の開拓時代になり、北海道全域まで日本人の手が及ぶようになるわけです。
例えば、羅臼昆布を産する羅臼町へ富山県から大量の開拓移民が入植したことから、富山への羅臼昆布の流通が増えることになります。
更には、北海道の北の果ての稚内周辺や、その西岸に位置する利尻島と礼文島にも開発が及び、そこで産する「利尻昆布」の流通も盛んになりました。
物流ルートにしても、明治30年頃には、鉄道網の発達により北前船の時代も終わりを迎えます。
つまり、明治の後期からは、品種にせよ物流ルートにせよ、多様性のある時代になったのだと思います。
おさらいしてまとめますと
【江戸時代前期まで】
◆物流ルート:産地から日本海を南下。「若狭湾→琵琶湖→京都」。
(若狭と京都の時代)
◆品種:真昆布(初期は主に青森県産)
【江戸中期、北前船以後】
◆物流ルート:北前船が大量の昆布を積み日本海を南下。西廻り航路で直接大阪へ。
(大阪の時代)
◆品種:真昆布が主
【明治の北海道大開拓時代以後】
◆物流ルート:明治中期以後は、鉄道網の発達により海運時代の終焉。
まずこの、流通の変遷と昆布品種との関りを、是非ご理解下さい。
【大阪のだし文化が特別である理由】
昆布には、様々な品種があるわけですが、一般の方が目にすることの多い、代表的品種で申しますと、「日高昆布」、「利尻昆布」、「羅臼昆布」、真昆布」、以上の4種でしょう。
これらの品種は、特にそれを珍重する特定の消費地と、強く結びついています。
例えば、1980年代まで一人あたりの昆布購入量が全国一位だった沖縄県。
沖縄では「海の野菜」として昆布を食べることが多く、その用途に適した「日高昆布」、又は似た特徴をもつ「長昆布」が多く利用されてきました。
本州に目を移しまして、こちらも昆布文化の非常に根強い地域、富山県。
富山では、「羅臼昆布」が人気です。
江戸末期、富山県から多くの開拓移民が羅臼地方に渡ったことが関係しているのでしょう。
現在でも羅臼町民の7割以上が富山県にルーツを持つ方だと言われています。
京都では、特に料理人さんの世界で顕著ですが、利尻昆布が人気であるようです。
それに対して大阪は、「真昆布文化圏」と呼んで良いほど、昔から真昆布を珍重した地域でした。
おさらいしますと、ざっと次のようなの関係です。
『日高昆布と沖縄』、 『羅臼昆布と富山』
『利尻昆布と京都』、 『真昆布と大阪』
さて、以上を踏まえまして、大阪の出し文化。
「だし」は日本中でとるでしょうし、何なら海外でも各国のだし文化ぐらいあるわけです。
それなのに、「大阪のだし」が特殊な価値をもつ理由は、前述の「真昆布」に他ならないわけです。
他の品種の昆布も素晴らしいですし、良いだしが取れるのですが、真昆布は昔から常に最高級品だと見なされてきたわけです。
この真昆布こそが、「大阪のだし」を支えたものに他なりません。
そしてこれは前段でご紹介した通り、流通の歴史も関係し、広く日本中に流通したわけでなく、特に珍重する大阪で大部分が使われてきたわけです。
真昆布の価値については、過去投稿「真昆布偏愛」で詳しく説明していますので、ご参照下さい。
「大阪のだし」が特別である理由、それは「真昆布の独占的利用の歴史」に他ならないわけです。
【ライバル不在、今こそ武器を拾え】
こんぶ土居には、日々多くのお客様が来店されますが、私共の店頭でも「やっぱり利尻昆布が高級なんですか?」というお声に、何度も遭遇します。
それは、「大阪のお客様であっても」です。
なんと嘆かわしい。
地元の文化への理解が非常に浅いことを端的に示す事例です。
いつの時代からか、京都の料理人さん達が盛んに利尻昆布のことを発信しましたから、そんなイメージがついたのでしょう。
いやはや、伝統文化に関しては、京都の影響力は絶大ナリ。
しかし、よく考えてみてください。
「千年の都」と謳われる京都。
794年の平安遷都から1868年の東京奠都まで、都であり続けたわけです。
前段の【昆布ロード】を振り返っていただくと、都であった「794年から1868年」どの期間を取っても、京都も真昆布文化であったはず。
あれれ?おかしいですねぇ。
これは一体、どういうことでしょう。
いつの間にか、「真昆布文化の京都」から「利尻昆布文化の京都」へ、すり替わっているわけです。
つまり、都であった時代の「京都における伝統的真昆布文化」を、どこかで捨て去ったことを意味しているわけですが、そうなった理由は「意図的に捨てた」または、「捨てざるを得なかった」のどちらかです。
私は後者であろうと考えています。
その理由こそが、前段の【昆布ロード】【江戸中期、北前船以後】でご説明した歴史です。
江戸初期までは大阪の上流に京都があったのに、北前船の時代以後は、大阪に真昆布が集まるようになってしまったわけです。
増してやその時代は、食い倒れの大阪が非常に強い経済力を発揮していた時代。
良い真昆布が京都に入りにくくなるのは、自明の理です。
そうこうしているうちに明治になり、時代が変わります。
前段でご紹介した
【明治の北海道大開拓時代以後】
◆物流ルート:明治中期以後は、鉄道網の発達により海運時代の終焉。
に移っていくわけです。
北海道全域から多品種の昆布が流通し始めるなかで、利尻昆布の利用も拡大していったのでしょう。
利尻昆布も、良い品質の昆布です。
美味しい出汁が引けます。
「その味が好きだから使う」というのであれば、非常に結構かと思います。
しかし昔から、最高級品と謳われてきた昆布が「真昆布か利尻昆布か」と問われたならば、答えは確実に前者です。
それは、先にご紹介した過去投稿「真昆布偏愛」でご説明している通りです。
京都の方には申し訳ありませんが、利尻昆布とは、「真昆布を大阪に握られてしまったことを背景に、京都の人が代用品として使ったもの」と表現できるかも知れません。
繰り返しますが、利尻昆布も良い品質です。
しかし、この段の冒頭でご紹介しました通り、ここ大阪でも「やっぱり利尻昆布が高級なんですか?」なんて声が多く聞かれる現状は、大変におかしなことだと思っています。
無理解も甚だしい。
さて、これまで私がご説明した歴史のストーリー、京都の方々が聞けば、どんな感情になるでしょうか。
あまり愉快な話には聞こえないでしょうね。
例えば、昆布のことについて京都の料理人さんが語るに際し、「大阪に良い真昆布を取られたから、私たち京都人はしょうがなく利尻昆布で代用してます」なんて、言うわけがないですよね。
日本の伝統文化を担う京都のプライドとして、「利尻昆布が一番おいしいから使っていますっ!!」って言うに決まっています。
それはもちろんご自由です。
その方がそう感じられたのであれば、非常に結構だと思います。
しかし、なんでもかんでも「京の都の伝統」と結び付けて語る傾向のある京都。
利尻昆布を、京の都の時代の伝統や北前船と結び付けて語る文脈があるとすれば、それは明確にウソであることは、これまでの内容を読んで下さった方ならご理解いただけるでしょう。
「京都の利尻昆布文化」と「大阪の真昆布文化」、この両者を比べますと、明らかに後者の方が「歴史、伝統」が長いのです。
しかし、「京都は利尻昆布なのだ」とのブランディングの発信は、ある意味大阪にとっては好都合であると取れなくもないのです。
京都が勝手に「京の都の時代の真昆布の伝統」を捨て去って、土俵から降りてくれたわけです。
こうなれば、古来より最高級品と謳われた真昆布文化は、大阪の独壇場。
タイトルの【ライバル不在、今こそ武器を拾え】の意味、ご理解いただけましたでしょうか。
地元大阪でも、特別な価値を持つ「大阪伝統の真昆布文化」について、大阪人自身が理解していない現状。
私共で「大阪昆布ミュージアム」をつくったのも、それを解決したいとの願いからでした。
【立ち上がれ大阪人よ!】
さて冒頭より、大阪の嘆かわしい現状についてご説明して参りました。
これをなんとかしたいと感じている大阪人は、私だけではないはずなのです。
しかしこれまで、必要なアクションが十分であったかと言えば、決してそうではありません。
そろそろ、「我がまち大阪を何とかしたい」という有志が立ち上がる必要があります。
停滞した大阪の時代から、正しい大阪文化の発信の時代へ。
「有志よ、集え!!」。
次の段落では、私が勝手に「大阪料理と真昆布、反撃チーム(仮称)」の人選について考えます。
(リストアップした方々には、現状では何の了解も得ておりません。私が勝手に書いているものです。)
【勝手にメンバーリストアップ】
個人や団体のお名前を出す前に、ジャンル分けをしますと『料理界』『公的機関』『ジャーナリスト』『昆布業界』『その他』といった感じでしょうか。
まずは『料理界』からは、大阪料理会の方々、辻調理師専門学校、土井善晴さん、を挙げさせていただきます。
「大阪料理会」とは、大阪の一流の料理人さんが集い、共に学ぶ研鑽の集まりです。
このメンバーの中でも特に、「柏屋」の松尾英明さんと、「雲鶴」の島村正晴さんは、昆布の未来のために特別な尽力をいただいています。
その内容は、下記の過去投稿をご参照下さい。
その他に、「大阪料理会」と言えば、やはり上野修さんのお名前を挙げないわけにはいきません。
「浪速割烹 㐂川」のご主人として、お弟子さんのお店や孫弟子さんも含め、「㐂川一門」の大阪の料理界における存在感は絶大なものです。
修さんは今年、黄綬褒章も受賞され、ご活躍は公的にも認められているところです。
そもそも大阪料理会は、お父様の上野修三先生が発足させたもの。
大阪の料理界に上野修三さんが居なかったとすれば、どんな惨憺たる状態になっていただろう、と思うほどに、特別な役割を果たされた生きる伝説です。
全国的に名が知れた辻調理師専門学校も、大阪が発祥なのです。
私個人的には、過去に多く関わらせていただいたわけではありません。
それでも、辻調さんの一部門「辻静雄料理教育研究所」の山田研所長には、過去に拙著「捨てないレシピ、だしがらから考える食の未来」を全教職員の方への推薦図書として周知していただきました。
現在の真昆布の窮状についても理解して下さっています。
なんとか辻調さんにも、ご賛同いただけると良いのですが。
更には、土井善晴さんです。
特に近年は、ご著書「一汁一菜で良いという提案」が大ベストセラーになり、特別な存在感を発揮しておられます。
お父様の土井勝さんの時代から、大阪でお仕事をしてこられました。
現在は拠点を東京に移しておられますが、いつもコテコテの大阪弁でお話になっているのを拝見し、大阪愛を勝手に感じています。
次に、『公的機関』からは、大阪観光局と大阪ガスさんを挙げます。
観光局さんも昆布と大阪文化のことについては、十分に理解して下さっているのです。
コロナウイルスのパンデミックの時期にしばらく間隔が空きましたが、過去には何度も共にイベントを開催してきました。
先月も、大阪市と姉妹都市であるアメリカのシカゴの有名ジャーナリスト、スティーブ・ドリンスキーさんを、大阪昆布ミュージアムへお連れ下さいました。
大阪の「都市格」の底上げを願っておられるのは間違いありません。
大阪ガスは、インフラ企業ですが、食育活動に非常に熱心に取り組まれてきました。
私共でも、過去に何度か協力させていただきました。
名前は「大阪ガス」でも、ガスを供給しているのは近畿一円ですので、お立場的にどうか分かりませんが、協業できるところがあれば嬉しいです。
続きまして、『ジャーナリスト』部門。
あまから手帖、門上武司さん、団田芳子さん、北村博子さんを挙げます。
関西の「食マガジン」と言えば真っ先に名前が挙がる「あまから手帖」。
過去に私共のことも何度も取り上げて下さいました。
前編集長の中本由美子さんが率いるウェブマガジン「WA・TO・BI」でも、「昆布はどうなる」と題し熱心に発信して下さっています。
今年の7月には、真昆布の窮状の現場取材も、大変な深さで実施して下さいました。
こちらも、大阪のことばかりでなく関西の食についてのお仕事ですから、お立場的にどうか分かりませんが、是非ご協力いただきたいです。
そして、関西の食ジャーナリストの第一人者、門上武司さんも外せないお一人かと。
こんぶ土居との直接の関りは意外に少ないのですが、前述の拙著も読んで下さいました。
何しろ影響力の強い方ですから、ご協力いただきたいです。
そして、私と同じ想いを抱いていること保証付きの、関西の名物フードライター「団田芳子さん」。
先にご紹介した「WA・TO・BI」の「昆布はどうなる」でも、取材して文章を書いて下さっているのは団田さんです。
特に団田さんは、過去に御著書「大阪名物」を発行され、ベストセラーになりました。
この本の趣旨は、今回の私の想いと同じなのです。
食の都だと言いながら、空港や新幹線の駅で京都の和菓子や神戸の洋菓子ばかりが売られている現状を嘆き「大阪にも、ええもんいっぱいあるんやー!」ということを世に知らしめるために書かれたわけです。
必ずや協力して下さる方のお一人です。
そして、産経新聞の北村博子さん。
この方なくして昆布の正しい報道は考えられない、と思うほどに、ずっと素晴らしい記事を書いて下さっています。
今では、天然真昆布の問題を知る方も多くなりましたが、ほとんど報道が無かった令和元年当時、12月28日の一面で大きく「大阪のだし文化揺らぐ」と題した記事を出して下さいました。
この記事は、これまで何度引用させていただいたか数え切れないほどです。
それ以後も、何度も報道して下さっているわけですが、実は今回の私のこの行動も、北村さんの助言によるものなのです。
次に、『昆布業界』。
大阪昆布商工業協同組合と、昆布大使さんです。
昆布業界には、全国組織としての「日本昆布協会」が存在しますが、その大阪地域版が「大阪昆布商工業協同組合」です。
現在の理事長は、大阪で170年の歴史を誇る老舗「小倉屋大阪戎橋筋」の池上社長ですが、池上さんとは年齢が近いこともあり、ある意味気心のしれた間柄。
秋の「真昆布フォーラム@北海道南茅部高校」から帰阪した後、池上さんと食事をしながら、今後のことを相談していました。
「昆布大使」とは、昆布に関する情報を発信したり、イベント等のPR活動をする、有志の集まりです。
日本昆布協会が認定しています。
このサイトには、昆布大使さんのリストが出ていますが、「大阪府」の項目で7名の方のお名前が出ています。
中でも、宮谷有希子さんは、今年大阪昆布ミュージアムで共にイベントを開催しました。
また、先に大阪ガスさんのことについて触れましたが、大阪ガスの食育活動を主導的に進めてこられたのは、隣県の兵庫県の欄にお名前が見える「大石ひとみ」さんです。
現在は大阪ガスを退職されていますが、これからも昆布大使としての活動は続けていかれるご意向です。
『その他』としまして、熊谷 真菜さん、澤田充さん、山根秀宣さん、更に、都市型観光ホテル「OMO7大阪ホテル by 星野リゾート」を挙げます。
熊谷 真菜さんは、世界のコナモン文化の普及と継承を目的に設立された「コナモン協会」の会長です。
「コナモン協会」発足の動機は、たこ焼きについての興味からであったそうですが、その美味しさの背景に「昆布だし」があったことも、度々発信して下さっています。
澤田充さんは、街づくり企業「ケイオス」の社長で、食に関する事業も多々展開しておられます。
お仕事の比率で言えば、やはり東京の方が多いのではないかと思いますが、非常に大阪愛の強い方です。
今年発行されたご著書には、江戸以後の大阪の食文化について、以下のように書かれています。
抜粋致します。
『この土地の食も富裕層の中で発展した。そして富裕層を満足させる料理の根幹が、昆布出汁であった。そんな必然を背景にして、大阪人は当時もっとも高級品とされた真昆布を買い占めた。 (中略) 一方、当時から京都は利尻昆布を使っていた。ここでは詳述しないが、真昆布と利尻昆布のポジションの歴史を一度見直してみて欲しい。』
これは正に本日の投稿で長々とご説明してきた内容そのものです。
社会的に影響力の大きい澤田社長には、ぜひ様々にご助言いただきたいところです。
山根秀宣さんは、「大阪まちプロデュース」という組織を運営しておられ、常々大阪のまちづくりに関する提言をしておられます。
定期的に発行しておられるメールマガジン「omp通信」を私も拝読していますが、その膨大な知識量には、驚かされるばかりです。
「大阪の価値の向上」ということで言えば、この方も非常に強い想いを持っておられます。
「OMO7大阪ホテル by 星野リゾート」さんは、宿泊施設であるのですが、お取組みが特殊です。
その事例が下記の、「なにわってなんやねん講座」です。
曜日によって内容は変わるのですが、火曜日には「大阪うまいもん文化」と題した内容を開催しておられます。
これを担当しておられるのが、前述の辻調理師専門学校で長く指導してこられた「谷口博之先生」。
谷口先生とは直接の面識はありませんが、実は過去に一度このイベントを聞きに行っていまして、真昆布のことも内容に含めて下さっていました。
現在の天然真昆布の窮状を谷口先生にも是非知っていただきたいです。
ちなみにこのイベントの開催場所は、ホテルのレセプション横のスペースでして、宿泊者でなくても聴講可能です。
その場所は同時に、大阪文化に関する書籍を並べたライブラリースペースでもあるのですが、拙著「土居家のレシピと昆布の話」と「捨てないレシピ だしがらから考える食の未来」、両方とも置いて下さっています。
前述の上野修三さんの本も、たくさん並んでいます。
以上、勝手にお名前を挙げさせていただきましたが、私と何らかの関係のある方々が主です。
他にも、良い役割を果たしてくださる方は、多々おられるでしょう。
多くの方と共に、未来を考えたいです。
組織化したいと思っています。
【産地との連携】
さて、そろそろ今回の投稿も終盤です。
大阪の食文化と真昆布の価値、問題点について書いてきましたが、それは「正しく伝わっているとは思えない」からです。
この問題意識は、実は真昆布産地でも同じなのです。
行政単位で申し上げれば、函館市です。
昔から最上級品としての名声を得ていながら、それが全国的に知られていないことを、函館の方々も嘆いておられます。
つまり、大阪と函館の願いは同じなのです。
そうなれば、当然協業すべきでしょう。
これまで私は、常態化した天然真昆布の不作や、今後の生産者の高齢化、後継者不足、そういったことを解決するため、度々北海道へ足を運んで活動してきました。
そういったことも関係してか、産地にて良い動きが出始めています。
今年の真昆布フォーラムには、函館市の大泉市長まで視察に来て下さいました。
市長も、本当に前向きに取り組んで下さっています。
これまでの歴史も踏まえて函館と大阪が協業することで、必ずシナジーが生まれます。
大阪側も、行政も含めてよく考える必要があります。
これまでの「文化発信の弱い大阪」が、このままで良いのかどうかを。
【まとめ】
今の時代、何もかもが東京に一極集中し、それぞれの街の価値が置き去りになっているように思います。
足元にあって慣れ親しんだものが「特別に見えない」のは当然で、それ故に軽視される傾向が強いと思います。
しかし、そこには本当に大きな価値があるのです。
一旦失ってしまえば、もう取り戻せないでしょう。
私が申し上げたいのは、簡単なこと。
「大阪人であれば、大阪に貢献せよ!」、それだけのことです。
当たり前のことを言っているだけです。
さぁ、立ち上がれ大阪人よ。
新しい大阪の未来のために。
(了)
(追記、コメント欄ご覧ください。正しい理解をして下さっている方の存在、本当に有難いです。