こんぶ土居店主のブログ

こんぶ土居店主によるブログです。お役に立てれば。

昆布を見る『目』、職人としての自負

 

水産食品の関係者向けの専門紙に、「水産新聞」という新聞があります。

本年の1月に面白い記事が掲載されました。

タイトルは、『短時間で乾燥コンブ熟成 高湿度加工でだしの品質向上』です。

 

 

なかなか興味深い記事です。

北海道立工業技術センターさんが、条件を様々に変えて分析したようで、昆布の熟成に必要な環境条件についての実験レポートが出ています。

 

記事によりますと、「湿度」が最も大切で、次に「温度」も影響するとのことです。

データ分析により、分かりやすく説明されるのは面白いのですが、私個人的にはこれを別の感覚と共に読みました。

 

それは、非常に傲慢な話ですが、

『そんなこと、今更言われなくても大昔から知っている』

と言う感想です。

 

事実、私はこのブログの下記の過去2投稿で、今回の工業技術センターのレポートと同じようなことを書いているのです。

konbudoi4th.hatenablog.com

 

konbudoi4th.hatenablog.com

 

こういった内容を私が発信する際に、成分分析を元に申し上げているわけではありません。

「自分が感じたこと」を書いているだけです。

言ってみれば私の主観に過ぎず、客観的なデータに基づいていません。

 

その一方、今回の一件から私は改めて自分の「日々昆布を観察し続けた者の目」、についての自負を強めているところです。

データ分析などせずとも、ずっと長年注意深く観察し続ければ「分かる」のです。

この「見る目」は、一朝一夕に養われるわけではありません。

毎日毎日ひたすら昆布を観察してきた者のみが得られるものです。

逆に言えば、『見る目』を持たない人に向けては、説明することすら難しいのです。

 

端的に申し上げるなら、

「見る目があれば、データなど無くとも分かる。」

「見る目が無ければ、データに頼るしかない。」

ということです。

 

今回の工業技術センターさんの分析により裏付けが取れたことは、喜ばしいことですが、「データに頼る」ことの是非についても注意が必要だと感じました。

 

 

 

そして、今回の話には、「その先の領域」があるのです。

2021年の私の過去投稿から一部を抜粋しますと。

 

熟成によって昆布の味覚的な品質を上げようと思えば、特に重要なのは適切な「湿度」です。

次に「温度」でしょうか。

光線は熟成にも全く不要です。

これらの要素は、人為的に調整可能なはずです。

除湿器や加湿器を使って湿度をコントロールし、エアコンで温度を調整すれば良いわけです。

私共でも、過去にそんなことにトライした時期もありました。

しかし、そのような方法は「何か違う」と感じます。

それが何か明確には申し上げられませんが、悪くはないものの「望んだものズバリ」でもないように感じました。

これは、醸造関係の製品と似た構造なのではないかと思っています。

発酵が関係する食品は菌が活動するわけですから、その菌が最も好む温度湿度に調節することは可能です。

しかし、昔ながらの伝統製法で発酵食品をつくるメーカーは、たいてい四季の移ろいを経たものづくりをしています。

逆に大手メーカーは、短期間で製造することで得られるコストダウンのため、加温して、所謂「促醸」と呼ばれる方法を取ることが多いものです。

この両者を比較すれば、「促醸」は、菌の活動に良い環境を整えることによって早く製造できたわけですから、良いものができそうなものです。

しかし実際は、伝統的な製法の方が良い結果が出たりするのが面白いところです。

 

(以上、引用おわり)

 

この過去投稿で書いた通り、人工的に環境を整えて「促醸的」なアプローチをしたものと、長期間に亘って徐々に熟成を進ませたものには、当然違いがあるのです。

何事も、そう単純ではありません。

成分分析の手法とて、今回の工業技術センターのレポートは、グルタミン酸量に立脚しているだけです。

他の成分については一切考慮されていません。

過去から何度も書いている通り、グルタミン酸ばかりが大切であるなら、昆布など使わずともうまみ調味料を入れれば解決するのです。

大切なのは『昆布のおいしさ』であって、それを『グルタミン酸量』と同一視して表現することの問題も理解されて欲しいです。

 

 

『データや外部の情報に頼りがち』、これは現代人の悪いクセかも知れません。

「情報を集めて編集し活用する」、そんな作業こそ、将来的には真っ先にAIに代替されてしまうことでしょう。

自らの実体験から得られたものにこそ、他に代替されない価値があると思うのですが。

 

今後も『データ分析の手法では到達できない職人技術の境地』こそが自らの存在意義だと考えて、日々昆布と向き合い、『見る目』を養い続けたいと思います。

 

(了)

海苔の味はブレます

 

このブログでも度々書いております、天然真昆布の大凶作。

これは正に、環境変化が主な原因です。

当然ですが、環境変化は昆布にのみ影響を及ぼしているわけではないので、他の動植物にも関係するわけですが、やはり海藻類のダメージが全体として大きいように感じています。

 

「海苔」も、そのひとつ。

私共では、数十年前から「無酸処理焼海苔」を販売してきました。

この製品にかけた想いは、オンラインストアに記載しておりますので、ご一読下さい。

konbudoi.shop-pro.jp

 

製品コンセプトとして掲げているのは主に下記の3点です。

◯無酸処理であること

◯一番摘みであること

◯産地は伊勢湾

 

この3点の中で、産地には特に大きな意味はありませんで、大阪から近い地域であることや、生産者の方とのご縁がきっかけです。

一番摘みは、柔らかく風味が良いからですが、やはり最も大切にしているのは、「酸処理」をしていないことです。

理由は簡単で、海の環境が良い状態で守られて欲しいからです。

しかし、無酸処理の海苔をお届けすることは、年々難しくなってきているように感じます。

 

そもそも酸処理とは、海苔の病害や雑海藻の問題を解決するためのもので、海洋環境が良ければそういった問題もあまり起きないわけです。

逆に、水温が高かったり栄養塩が足りなかったり、海苔にとって厳しい環境になればなるほど、正常に生育しないリスクが高まり、海苔漁師さんも酸処理をせざるを得ない状況になります。

 

タイトルに書きました「海苔の味がブレる」。

これは、私共が常に頭を悩ませる問題です。

上記の通りの製品コンセプトで原料を調達して製品化するのですが、味は様々です。

自然のものですから、いつも理想的な品質の海苔が育つといった都合の良いことにはなりません。

 

本日、わざわざこんなタイトルのブログを書いているのは、昨年度に私共で使用した海苔の品質が非常に高かったからです。

逆に言えば、今年の海苔は少し味覚的に落ちるように感じています。

私がそのように感じるのですから、ご愛用いただいている消費者の方も、同じように感じる方があるでしょう。

「以前の方が美味しかったなぁ」と、もし感じておられるのであれば、心苦しいところです。

 

しかし、こればっかりは、どうしようも無いのです。

私共では、できるだけ安定して美味しい海苔をお届けするよう努めるわけですが、自然の産物ですので、いつもいつも同じ品質で「ブレが無い」なんて不可能です。

何卒背景をご理解いただき、ご容赦いただけますと幸いです。

 

過去に本ブログで、酸処理について簡単にまとめたものも投稿しました。

こちらも、もしよろしければご一読下さい。

konbudoi4th.hatenablog.com

 

(了)

イシハラ昆布さんのこと。目指すべき「楽しい昆布生産」。


会ってみたいと思っていた人と不思議なご縁で繋がる。
最近の私には、こんなことが多いように感じます。

過去にも、素敵な取り組みをしている岡山さんという昆布漁師さんについてこのブログで書きましたが、この時も私が話を伺いに行ってみたいと考えていた矢先に、先方から来て下さったので驚きました。

konbudoi4th.hatenablog.com

 


タイトルに書きました『イシハラ昆布』さん(以下、石原さん)は、利尻昆布の産地である北海道の礼文島で昆布漁師さんをしている方です。

00ikor00.thebase.in

 

石原さんがある方から私共のことを聞いて下さったそうで、Instagramのこんぶ土居アカウントをフォローして下さったのが、最初の接点です。

そんな流れで私も石原さんのInstagramを見るようになったのですが、何より印象に残るのは『楽しそうな石原さんの暮らし』です。

https://www.instagram.com/ishihara_konbu?igsh=Mng5aGtudnVjeWFo

 

 

「こんぶ土居店主のブログ」では、過去から何度も北海道の昆布生産の現場に山積する問題について書いてきました。

その主な内容は自然環境の悪化に関することでしたが、実は近い将来に、それ以上の大問題が控えているのです。

 

 

それは、『昆布漁師さんの後継者不足による生産者の減少』です。

その減少スピードは異常に早く、10年後には昆布漁師さんの数は「半減に近い」と予想されています。

これは、私共の目前に迫る「大問題」です。

昆布文化は、社会的な要因からも危機的状況にあるわけです。

 

 

では、なぜこんな状態になってしまうかと言えば、端的に言えば「生産者の方々が昆布漁師という仕事を魅力的だと考えていない」からです。

その背景にある具体的理由としては、

 

〇そもそも仕事が非常に大変であったり

〇「昆布を生産する」という仕事の意義が過小評価されていたり

〇北海道では昆布の利用の文化が浅いので、その真の価値が理解されていなかったり

〇労働環境を改善するイノベーションが起きにくい気風であったり

〇「浜での暮らし」に魅力を感じない人が多かったり

 

こんなところでしょうか。

この諸問題を解決していく必要があるのですが、最後に書きました「浜の暮らしの楽しさ」も非常に大切だと、昔から考えていました。

この「昆布漁師の浜での暮らしの楽しさ」の観点において、私は石原さんに、ある種の理想を見たのです。

 

 

石原さんのSNSでの発信から見えることは、ある意味単純です。

「自分の住む浜の自然」「そこで産する昆布」「その昆布を採って製品化する仕事」「自分の昆布が誰かの食生活に貢献していること」「浜での暮らし」、これらの全てを愛しているように見えることです。

 

 

実際にお会いした石原さんは、私の想像した通りの方でした。

楽しそうにご自分の仕事について話してくれました。

その「楽しさ」の背景に何があるのかを考えた時、石原さんの仕事への姿勢も関係しているようにも感じました。

「自分の考える昆布漁業の理想の追求」でしょうか。

 

「昆布漁師の仕事」を、単にお金を生む手段と考えているわけでないからこそ、「自分の昆布のあるべき姿」、「そのための正しい方法」に考えが及ぶのでしょう。

それは、イシハラ昆布さんのサイトを見れば説明されている通り、「干場への除草剤不使用」や「完全天日干し」といった具体的な取組に帰着しています。

 

「仕事の正しさ」と「仕事のやりがい」には、強い関係性があるはずです。

「自分は正しいことをしているんだ、という自負に溢れた人」と、「より正しい取り組みへ進む意志の弱い人」、この両者を比べれば、前者の方がやりがいを強く感じるはずで、これこそが「仕事の楽しさ」にも直結しているように思うのです。

 

昆布漁業の現状を考えると簡単なことでは無いとは言え、これだけ温暖化による気候変動によって昆布の生育に問題が出ているわけですから、昆布漁師さんも、できるだけ二酸化炭素の排出が少ない生産方法に関心を持つべきでしょう。

そうなれば、石原さんのような「天日干し」を可能な限り取り入れることにもつながっていくはずです。

「除草剤不使用」とて同じで、自分の暮らしの糧となる昆布が育つ海、それを除草剤で汚染することなど、避けられるべき事柄であるのは当然です。

 

正しさに向かう姿勢が弱いからこそ仕事への自負心が生まれづらく、昆布漁業を「お金を稼ぐための単なる労働」として見てしまうのではないか。

石原さんとのお話しの中で、そのようにも感じました。

 

 

こんぶ土居へ石原さんが来てくれた1月15日は、たまたま函館市役所の方々が私共を訪問してくれる日でした。

1月21日の函館市主催の下記のイベントに、私をスピーカーとしてお招きいただいているので、その打ち合わせです。

www.city.hakodate.hokkaido.jp

 

実は石原さんからご連絡をいただいたのは、来られた日の前日で、非常に急なことだったのです。

函館市のご予定は前々から決まっていたわけですが、私はそこへ石原さんも同席していただきました。

函館市さんには、当日にその旨をお伝えしたのですが、幸いにして快諾して下さいました。

行政の方にも、「楽しい昆布漁師の暮らし」の実例を、是非見ていただきたかったのです。

結果として、非常に良かったと思います。

 

いつか私も、石原さんの住む礼文島の元地を訪ねたいと考えています。

石原さんのお仕事現場を見て、「正しく楽しい昆布漁業」を広めるための方法について考えたいと思っています。

f:id:konbudoi4th:20240116110101j:image

(大阪昆布ミュージアム4階にて、石原さんと函館市役所の方々と懇談)

 

(了)

断言する、「古の京の都の、伝統利尻昆布文化」はウソ!

 

お正月休みに、書類の整理をしていましたら「月刊SEMBA」という古い雑誌が出てきました。

f:id:konbudoi4th:20240103151818j:image

 

昭和61年の発行でしたので、ずいぶん昔のものです。

先代の時代の「こんぶ土居」を取り上げて下さっていました。

 

ぺらぺらとページを捲ってみますと、この雑誌には、他の昆布屋さんのことも掲載されていたのです。

それが、京都の「音羽昆布」さんです。

大変失礼ながら、私は「音羽昆布」さんの存在を存じませんで。

業界向け昆布情報冊子「昆布手帳」の、「京都昆布同業会」のページを参照しますと、数年前までは掲載されていたのですが、手元の最新版2023年版には記載がありませんでしたので、廃業されたのかも知れません。

明治42年開業の、古い昆布屋さんであったようです。

 

 

さて、過日の下記投稿で、本日のテーマと似た内容の投稿をしました。

未読の方は、先に読んでいただきたいと思います。

konbudoi4th.hatenablog.com

 

不思議な巡りあわせがあるもので、偶然目にした「月刊SEMBA」で音羽昆布さんが語っておられた内容は、この過去投稿で私がご説明した事そのものでした。

 

(掲載ページのスキャン画像)

 

大事な部分を抜粋しますと。

 

北海道から大阪→京都へ

音羽昆布本舗は明治42年開業。当時この辺りは鮮魚の問屋街。先代が近くで手広くやっていたという丹常昆布店に丁稚奉公、その後たたきあげた店である。「昆布は暖流と寒流の合流するところでないと生育しにくいという性質上、産地の97%が北海道です。送られてくる昆布は一度大阪へ集まり、その後京都に入って来るのが、江戸時代からの習慣でして」とハキハキとした口調のご主人、廣瀬貞治さん。商売人らしい気骨が感じられる。

(中略)

昆布は大きく分けて、真昆布、りしり昆布、三石昆布、長昆布、羅臼昆布、細目昆布など、ほぼ6種類。「特に真昆布の中の白口元揃が最もおいしく、まったりとしたとても良いおだしが出ます

 

(以上、抜粋おわり)

私の過日の投稿は、歴史的背景からの推論でしたが、今回の内容は京都で古くから続く昆布屋さん「証言」です。

情報の補強に、非常に役立つと思います。

過去投稿でも主題にした、下記の2つの事柄。

 

◆江戸時代の北前船の時代以後、良い昆布の代表格であった真昆布の流通は、主に大阪が握ることになった。流通経路として、京都はその下流であった。

 

◆「古くからの京都の真昆布文化」なら存在するが、「古くからの京都の利尻昆布文化」など存在しない。

 

これらは歴然たる事実です。

その一方、ここ数十年「誰かが一生懸命、ウソ情報を流してきた」わけです。

 

その筆頭に立ったのは京都の料理界ですが、特定の昆布産地や、ある流通業者も加担する形で誤情報が拡散しました。

ウソ情報を流す人は糾弾される必要があると思うのですが、いかがお考えでしょうか。

 

残念ながら、こういった事は今も続いています。

悪い事例として、本年の元旦の北海道新聞の記事を最後に掲載しておきます。

ジャーナリストの責務として、「正しい情報」を世に出すべきなのは、当然のことです。

 

私は伝統的な昆布文化の一翼を担うものとして、「誤情報を広める輩」を看過できません。

一人でも多くの方に正しく理解していただきたいです。

 

f:id:konbudoi4th:20240103154158j:image

 

(了)

 

2024年、年賀状の内容(末尾に加筆説明)

あけましておめでとうございます。

新年、いかがお過ごしでしょうか。

 

こんぶ土居では、今年も本物の良い食品をつくり続けます。

引き続き「こんぶ土居店主のブログ」やInstagramでの情報発信にも取り組みます。

何卒、おつきあい下さいますようお願い申し上げます。

 

 

こんぶ土居では、年賀状にメッセージを込めた内容を書くのが恒例です。

このブログもそうですが、近年ではオンラインでのお繋がりが増えていますし、個人情報の観点もありご住所を伺っていない方も多々。

そんな方々には年賀状は届かないわけですから、ご紹介しておきたいと思います。

「年賀状の画像」、「記載した内容抜粋」、「詳細のご説明」の三段構成です。

 

 



(以下、本分の抜粋)

 

『何かが芽吹きつつある予感』

天然真昆布の最後の豊作年は2014年でしたらから、かれこれ10年間ずっと不作が続いていることになります。

当初は、業界内にも一過性の問題だとの楽観論もありましたが、私どもでは問題解決に向けて微力ながら動いてきました。

この問題についての報道がほぼ無かった時代に、産経新聞の北村博子さんが一面で報じてくださったのは令和元年のことでしたから、私どもの活動も5年ほど経過したことになります。

昨年の大きな出来事は、献上昆布の郷の北海道南茅部高校にて次代を担う中高生に向けて開催した「真昆布フォーラム」です。

詳細は、「こんぶ土居店主のブログ」2023年11月10日投稿、「2023真昆布フォーラム開催レポート」にて書いております。全内容をご覧いただける動画2本と、聞いて下さった高校生の感想も掲載していますので、是非ご一読ください。

真昆布フォーラムへは、函館市の多くの部署の方々や教育関係者、市議会議員さん、更には函館市長まで視察に来て下さいましたから、新しい風を予感させるものでした。

当初から「5年ほどかけて芽吹かせ、10年で何かを結実できれば」と漠然とイメージしていました。ちょうど活動開始から5年ほど経った今、悪くない形が見え始めています。

また、こんな私どもの取り組みは、思わぬ副産物も生んでいます。

『原料昆布調達に良い影響』『新たな良い人脈』等々でしょうか。

どうしてこんなことが起きるのか、この年賀状の限られたスペースではとても文字数が足りませんので、2015年1月1日付のブログ記事に詳しく書いておきます。

本分である昆布の食品づくりについても、新しい意義を込めた製品開発を続けています。昨年から取り組んでいる「純植物性十倍出し」は、その一例ですが、社会問題の解決を内包する製品づくりが理想だとの思いが強くりました。

簡単ではありませんが、「表面的なおいしさ」を超えた何かを、今後も製品を通じて表現できればと考えております。

 

(以上抜粋おわり)

 

 

さて、本文で書きました通り、『原料昆布調達に良い影響』『新たな良い人脈』について、少々補足説明をさせていただきます。

 

『原料昆布調達に良い影響』

こちらは、非常にシンプルな話でして。

昆布の生産現場に問題が起きているわけですから、良い昆布が足りないわけです。

つまり、需給のバランスで申しますと、供給が足りていない状態です。

「量的に限られた良い昆布を、誰に託すのか」。

その決定の最も源流に近い場所にいるは、当然に昆布漁業関係者です。

私共の産地での取り組みも30年以上続けてきたわけですが、「頑張ってる土居に良い昆布を、回してやろう」という風に産地の方々がご配慮下さっているようにも感じるところもあります。

決して、こういった結果を目指して始めた取り組みではありませんが、「誰かに貢献する」ということは、結果的に回りまわって自分にも良い影響を及ぼすことを実感しています。

 

『新たな良い人脈』

こちらも、複雑な内容ではありません。

私共は昆布屋ですから、産地から昆布を仕入れて販売したり、加工品を製造したりすることが仕事です。

こう考えると、そんなに人脈が広がりそうな業務内容ではないのです。

しかし、現在の昆布漁業を取り巻く問題を解決したいと考えて様々に動き出すと、様々な方にお会いする機会が増えます。

私が取り組んでいることは、環境を守ることであったり、文化を守ることであったり、そういった内容です。

「大切なものが失われつつある現状で、その解決を目指して動き出す」。

そんな活動の中で得られる人脈は、単に昆布屋としての営業で得られるものと少し異質でして、「良い意志と高い能力」を兼ね備えた素晴らしい方々とお会いすることが増えたように感じています。

これも、予期せぬ副次的効果でした。

 

 

本年2024年も、様々なことがあるかと思います。

決して楽な時代ではありませんが、粘り強く正しい取り組みを続ければ、良い結果につながると信じています。

本年も、引き続き宜しくお願い申し上げます。

 

(了)

 

横綱『川汲と尾札部』、しかし浜格差より大切なこと

 

大きな価値を持っているのに、別の何かの陰に隠れてしまって伝わらない。

そんな不遇が存在するのも世の常で、なかなか残念なものです。

前回投稿で書いたことも、そういった内容でした。

konbudoi4th.hatenablog.com

 

本日のテーマも同様で、真昆布の名産地の「知名度」について。

代表選手として最も名前が通る「尾札部浜」と、それに比べると陰に隠れた感のある、隣接する「川汲浜」の物語。

こんぶ土居では、これまでずっと川汲の昆布を主に取り扱ってきました。

konbudoi.shop-pro.jp

 

本日の内容、段落としては【浜格差とは】【基準浜】【川汲の知名度が低い理由】【ベストスポット】【川汲の優位性】【まとめ】、と続きます。

 

 

【浜格差とは】

昆布業界には「浜格差」という言葉があります。

これは、同じ品種の昆布であっても産出浜によって品質が違い、価格にも差が出ることを示した言葉です。

分かりやすいところで言えば、お米の「魚沼産コシヒカリ」といった話。

私は下戸ですので詳しくないですが、ワインの葡萄のテロワールも同じでしょうか。

 

道南地方で産する真昆布の世界で申しますと、まず「高級三銘柄」と呼ばれる地域があります。

「白口浜」「黒口浜」「本場折浜」です。

他産地と分けて高級品だとされてきたわけですが、中でも白口浜産真昆布は「献上昆布」の別名もあり、最高級品だとされてきました。

この「白口浜」は総称でして、7地域で構成されています。

北から、「鹿部」「大船」「臼尻」「安浦」「川汲」「尾札部」「木直」の、計7浜です。

この中ですら「浜格差」が存在するのです。

実際に、昆布の品質は異なります。

 

 

【基準浜】

前段でご紹介した白口浜を構成する7浜。

これは、現在の漁協組織による区分けでは、「鹿部漁協」と「南かやべ漁協内の6支所」で構成されています。

流通に際しても、この7浜の昆布はそれぞれ別の物として出荷されます。

 

 

この南かやべ漁協内の6地域でも、「浜格差」が存在したのです。

中でも「基準浜」と呼ばれる浜があります。

「基準」とは、価格の基準です。

 

毎年秋になれば、その年の浜出しの取引価格を決定するわけですが、これを「値決め」と呼びます。

その「値決め価格」に、あらかじめ設定された「掛け率」を乗じ、各浜の昆布の価格が決められてきました。

例えば、ある年の値決め価格が5000円だったとしますと、掛け率95の浜の昆布は4750円(5000×0.95)で取引される、と言った具合です。

この基準浜、言い換えれば掛け率100の浜が、白口浜では尾札部と川汲だったのです。

その他の浜は、それぞれの掛け率の分、安値で取引されてきました。

 

尾札部と川汲は、共に掛け率100で来たわけですから、同格であるということを意味します。

しかし、知名度がより高いのは、川汲より圧倒的に尾札部の方です。

これがどういった理由によるものか、次の段でご説明します。

 

 

【川汲の知名度が低い理由】

『行政再編の歴史』

まず、前述の両地域は、今の行政区で言えば函館市の一部ですが、2004年(平成16年)に編入されるまでは「南茅部町」でした。

この「旧南茅部町」に含まれる地域は、現在の漁協区域で言えば、「大船」「臼尻」「安浦」「川汲」「尾札部」「木直」の6地区です。

 

更に時代を遡りますと、この「南茅部町」は、1959年(昭和34年)に「尾札部村」と「臼尻村」が合併して誕生しています。

この「尾札部村」は、現在の漁協区分で言えば「川汲」「尾札部」「木直」の3地区で構成されていました。

 

つまり、昭和34年までの川汲は「尾札部村」の一部であったのです。

村の名前である尾札部と、その一領域に過ぎなかった川汲。

この段階で知名度には大きな差がでます。

 

これは行政区域だけでなく漁業組織としても同じで、現在の「南かやべ漁協」は、古く遡れば「尾札部村漁業会」と「臼尻村漁業会」が前身です。

ここでもやはり川汲浜は、「尾札部村漁業会」の一領域ということでありました。

言ってみれば「川汲」という名前は、しばしば「尾札部」に内包されてきたわけで、知名度が低いのは、こんな理由によるものだと思います。

 

また、尾札部に比べると川汲は狭い浜ですので、漁師さんの数も少ないです。

そうなれば当然、生産量も少なくなるわけで、こんなことも関係しているかも知れません。

 

 

【ベストスポット】

前述のように、川汲と尾札部が「基準浜」として同格であったわけですから、最も良い品質の昆布が採れる場所は、両浜の境界線付近ということになります。

 

下の画像は「御料品昆布」の天日干しの図です。

「御料品」とは、天皇やそれに準ずる方々に差し上げるための物のことですが、簡単に言えば献上品です。

この写真が撮影された場所は、尾札部浜内の川汲との境界近辺です。

やはりこの辺りがベストスポットという認識で間違いないと思います。

この辺りから離れるほど、徐々に品質が変わっていくということになるわけです。

 

 

【川汲の優位性】

前述のように、ひとつの産出浜内でも微妙なエリアの違いで昆布の品質には違いが出ますし、簡単ではないのです。

ただ、尾札部と川汲の昆布の品質を比較した場合、全体として申し上げるなら、知名度に劣る川汲に僅かに優位性があると考えています。

 

理由は2つ。

①「見日」の吸収合併と、②管理体制、です。

順にご説明します。

 

①「見日」の吸収合併

さて、先にご紹介しました通りの、「大船」「臼尻」「安浦」「川汲」「尾札部」「木直」、6支所で構成される「南かやべ漁協」。

この組織も、2015年に合併により誕生しています。

つまり2015年までは、それぞれの支所が独立した漁協であったのです。

 

これらの6漁協の歴史は昭和24年から始まるのですが、この頃はもう少し細分化されていたのです。

尾札部漁協と木直漁協の間に「見日(けんにち)漁協」があり、木直漁協の向こうに「古部漁協」がありました。

「見日漁協」は、昭和37年に「尾札部漁協」に吸収合併されるのですが、それはつまり、昭和37年以後の尾札部産昆布は、それ以前の尾札部産と見日産の混合物だということになります。

この「見日」の昆布は、それまでの川汲や尾札部と比べて、一段下がる評価でありましたので、尾札部産昆布は「下ぶれ」する結果となっているかと思います。

言い方を変えれば、良い昆布も少し劣る昆布も混じっているということです。

 

その一方、川汲は周辺浜との合併の歴史が無いので、現在も狭い領域です。

漁師さんの数も尾札部に比べると少ないわけで、『下ブレが少ない』ということが優位性として挙げられるのではないかと思います。

 

詳細は、南茅部町史「漁業協同組合のあゆみ」をご参照下さい。

テキスト / 漁業協同組合のあゆみ

 

 

②管理体制

前述のように、尾札部浜は高級真昆布の代表格です。

しかしこれは、天から与えられたものです。

人の力によって品質を上げたというのでなく、良い昆布が成長するのに理想的な環境であったというだけのことです。

 

こういった状況で往々にして発生するのが、「品質向上への努力を怠る」傾向です。

こうなる理由は簡単で、努力せずとも売れるからです。

非常に高品質な昆布で知名度もある引手数多な昆布。

右から左へ勝手に売れていくのです。

そうなれば、品質向上への取り組みが起きにくいのは当然のことでしょう。

 

逆に、南かやべ漁協内でも上浜でない地域は「なにかしよう」という意気込みが感じられます。

それは、自分たちの浜の昆布が劣っていることを自覚しているからです。

そんな昆布を良い価格で買ってもらいたいとなれば、何か手を打つしかありません。

これこそが、品質改善への動機づけとなります。

 

評価が高い浜は何もしなくても右から左へ売れるわけですから、言い方は悪いですが、「あぐらをかく」ということにつながりがちです。

こういった状況が、時に大問題を引き起こす場合があります。

 

あまり言いたくはないですが、定番の問題として存在したのは、天然昆布と偽って養殖昆布を出荷することです。

実際に私も経験がありまして、「天然真昆布」とケースには書かれているのに、中身を開けると養殖昆布が入っていたことがあります。

 

これは大阪の昆布屋も悪いのです。

「目利き」としての能力がなく、違いを見分けられない人が多いのでしょう。

そうなれば、それで通用してしまうわけです。

「明確に立証できない」ことも背景にありますでしょうか。

養殖昆布は天然昆布から種苗をつくって育てるので、DNA鑑定にかけたとしても同じ結果が出ますから。

 

もちろん、ほとんどの漁師さんは、そんなことはしません。

まじめに規格通り製品化する良い方ばかりです。

しかし、どこの世界にも「悪い人」は必ずいるわけで、そんな問題児を正しくコントロールする体制が必要であるわけです。

それは、基本的には漁協の仕事だと思いますが、いまいち効果的に機能していない場合もあります。

少し指導力が弱いのかも知れません。

 

 

過去において、私は川汲産の天然真昆布で上記のような問題に遭遇したことは一度もありません。

しかし、尾札部産の昆布では、何度か実際に辛い経験をしています。

これは、問題のある漁師さんをコントロールする、漁協の「指導力」「統率力」で言えば、尾札部より川汲の方が上だということでしょう。

これは、知名度ナンバーワンの代表格であることが、「向上への意欲に欠ける」悪い方向に作用した事例と捉えることができるかも知れません。

 

残念ながらこんな問題が過去に起きていたのは事実でありまして、白口浜真昆布の代表選手である尾札部浜には、是非奮起を期待したいところです。

 

 

【まとめ】

先に書きました通り、結局は昆布の品質は個体差もあり一概には言えません。

であるからこそ、私共の仕事に意味があるわけです。

一枚一枚の昆布の品質を見抜く的確な選別が必要です。

古い言い方なら「目利き」でしょうか。

 

実は、三代目の時代から『川汲浜昆布生産者採点表』をつけてきました。

これは、私共を取り上げてくれたグルメ漫画美味しんぼ」にも載っています。

ひょっとして川汲の漁師さん方は、「土居に厳しく品質をチェックされている」という良いプレッシャーの元に仕事をして下さっていたとか。

そんなことであれば、何より嬉しいのですが。

 

 

長々と書いて参りましたが、尾札部の圧倒的知名度の前に隠れてはいるが、よく頑張っている川汲浜の不遇も知っていただけると嬉しいです。

両浜が共に仲良く品質向上へ進む未来があれば、何より素晴らしいですね。

そう願いたいものです。

 

これまでのお話しは品質上の浜格差についてですが、既に書きました通り、これは人の努力によるものでなく天から与えられたものです。

それ以上に価値があるのは、やはり正しい努力によって得られた成果でしょう。

例えば、今回ご紹介しております白口浜真昆布の産地では、天然物の不作が常態化しているわけです。。

そんな中で今年、臼尻地区では少し資源が回復しております。

数日間、天然昆布採取もしました。

これは、臼尻の漁師さんの努力が実ったと見ることができるかも知れません。

本当に素晴らしいことで、臼尻地区の努力が賞賛されるべきだと思います。

 

これと同じようなことを、過去投稿でもご紹介しております。

konbudoi4th.hatenablog.com

この投稿の通り、えりも岬の漁師さん方は血の滲むような努力によって昆布の森を復活させたわけです。

これは、資源量の回復だけでなく、品質の向上にもつながりました。

日高昆布にも浜格差があり、「上浜」「中浜」「並浜」と大別されますが、昔は並浜であったえりも岬も、現在は「中浜」との評価に格上げされています。

これは、人の努力で過去の「浜格差」を覆した偉業です。

 

未来の昆布漁業を考えたとき、「おいしさ」という観点はもちろん大切なのですが、「正しさ」が評価される時代が来るのかもしれません。

おいしさでは劣るが、例えば環境問題に対する取り組みなどで、より良い形を実現している浜の昆布が評価されたりして。

個人的には、そんな時代が来てほしいとさえ思います。

 

決して、過去からの評価にあぐらをかかず、新しい時代に求められる姿を追求する昆布業界であってほしいと思います。

 

(了)

 

(こんぶ土居の倉庫内で、出番を待つ各浜の天然真昆布)

f:id:konbudoi4th:20231223155055j:image

 

 

大阪料理と真昆布、反撃の狼煙

 

私の曾祖父の土居音七が郷里の淡路島から大阪へ出て、独立開業した1903年以後ずっと、こんぶ土居は大阪の地で営業してきました。

当然私も、大阪生まれ大阪育ちです。

一大阪人として今の大阪を見ると、昔と比べてあまり良い状態ではないように思っています。

言ってみれば、存在感が希薄になってきているように思うのです。

古くは、東の最大都市である首都東京と比肩する西の大都会として、非常に大きな存在感がありました。

特に、1920年代から1930年代の「大大阪」の時代には、人口でも経済力でも東京を超えていたのです。

しかしそんな面影は、遠い過去のものとなったように思います。

 

 

例えば、外国人観光客が初めて日本に来る場合、東京へは行くでしょう。

では、その次はどこでしょうか。

関西に来るにしても、京都に関心を持つ人が多いと思います。

大阪は国際空港がありますから、来阪人数だけで見れば多いのかも知れませんが、特段の関心を持ってくる人が果たしてどれほどいるのか。

 

これは国内を考えても同じで、大阪観光の最大の目的地がユニバーサルスタジオジャパン(USJ)だったりします。

観光の最大要素が、アメリカ発祥のテーマパークとは!、なんたる文化的貧困。

しかし、これが悲しい現実です。

 

本日は、「食」の観点でもかつての輝きを失ってきているように見える我が大阪の行く末を憂い、忘れられつつある伝統食文化の価値を改めて理解していただき、未来を描くための投稿です。

テーマはタイトル通り、「大阪料理と真昆布、反撃の狼煙」です。

 

段落としては、以下の通り。

【食の都、とは言うけれど】、【昆布ロード】、【大阪のだし文化が特別である理由】、【ライバル不在、今こそ武器を拾え】、【立ち上がれ大阪人よ!】、【勝手にメンバーリストアップ】、【産地との連携】、【まとめ】

といった流れです。それでは。。

(※今回の内容は、食の分野でもブランディングに大成功している京都との対比の文脈が多くなっています。京都の方には不愉快な面もあるかも知れませんが、ご了承ください。)

 

【食の都、とは言うけれど】

大阪は「食」については、少しは特殊な存在感を発揮しているかも知れません。

「おいしいもののある街」、との認識は全国的でしょう。

 

これは昔からで、関西の大都市「大阪」「京都」「神戸」には、特徴を評した呼び名がありました。

「食い倒れ」「着倒れ」「履き倒れ」です。

衣類にお金を惜しまない京都人、靴などの履物にお金を惜しまない神戸人、そして食べるもので散財しがちな大阪人を、それぞれこう呼んだのです。

しかし、「食い倒れの街、大阪」が「着倒れの街、京都」に比べて、今も食の分野で大きな存在感を発揮していますでしょうか。

 

 

例えば「京料理」や「京野菜」という言葉。

これらは全国的に知れ渡っていますし、その言葉の響きだけで、何か洗練されたようなイメージを感じます。

一方、「大阪料理」「大阪野菜」もあるわけですが、多くの方はこれに明確なイメージを持てないでしょう。

今は「大阪名物と言えば?」と尋ねた際の答えは、「たこ焼き、お好み焼き」が大多数でしょうね。

しかしこれは、ストリートフードです。

たこ焼きやお好み焼きを低くみるつもりは全くありませんし、私個人的にも大好きですが、「それしか無いのか!」と、一大阪人として嘆かわしく思います。

こんな背景で、お隣の京都の洗練されたイメージに対し、庶民的な美味しいものが安く食べられる「良質B級食イメージ」が醸成されるように思うのです。

 

マスコミの取材などでも、京都の食を語るときに高級料亭へ行き、大阪の食を語るときタコ焼き屋さんへ行くような、ステレオタイプな構造をよく見ます。

庶民的なものばかりが前に出て、伝統的で洗練されたものが隠れてしまうことによる「B級イメージ」、その払拭は今後の大きな課題でしょう。

 

伝統を感じさせるような、より洗練された食文化が無いのであれば、仕方ありません。

しかし、そんなことは決して無いのです。

たこやきやお好み焼きを、いくら食べても、散財して「食い倒れる」なんてことに、決してならないでしょう。

古い時代は、京都の人が「おいしいもの食べたいから、大阪へ行こうか」といったことが普通でした。

考えてみれば、これは当たり前。

内陸部ゆえ、地場に良い野菜はあっても新鮮な海産物が手に入りにくかった京都市と、瀬戸内へ続く大阪湾を擁し、あらゆる良い素材に恵まれた大阪。

 広辞苑によれば、「なにわ」という地名は一説に、古来より大阪湾が魚介類の豊富な海であったことから「魚(な)の庭」が転じて「魚庭(なにわ)」になったとのことです。

更には、食べ物にお金を惜しまない「食い倒れ」の大阪人気質。

どちらが美味しいものが食べられる土地か、少し考えれば分かりそうなものです。

いつから立場が逆転したのでしょうか。

 

 

現在では、物流が発達していますから、最も良い海産物を手に入れやすいのは東京でしょう。

そんな現在であっても尚、「世界的に見て特殊な価値を持つ、洗練された大阪独自の食文化」として挙げられるのは、ただひとつ。

「大阪のだし文化」であるのです。

順次、詳しくご説明します。

 

 

【昆布ロード】

次の段落で、【大阪のだし文化が特別である理由】について考えますが、そのためにまず、昆布流通の歴史的変遷について理解を深めていただく必要があります。

少々お付き合いください。

時代を、【江戸時代前期まで】、【江戸中期~明治時代、北前船の頃】、【それ以後】と、三つに分けて考えてみましょう。

また、それぞれの時代に、どの品種が流通していたのかも併せて考えます。

 

【江戸時代前期まで】

昆布の流通の歴史は、文献を辿れば平安時代にまで遡ることができます。

都である京都へ昆布を運ぶとなれば、産地から日本海側を寄港しながら少しずつ南下し、若狭湾から琵琶湖、そして京都へ、こんなルートでありました。

大阪へ昆布が来るとすれば、その後です。

京都から淀川水系を通り、運ばれたわけです。

 

では、この時代の昆布品種は、何でしょうか。

平安中期に制定された律令の施行細則である『延喜式』によれば、陸奥国に納めさせる特産品として、昆布が税の指定品目となっています。
つまり、産地は青森県であったのです。

青森で産する昆布は、品種で言えば真昆布です。

少々時代が進んで、津軽海峡を北へ渡り道南地方まで行ったとしても、そこで産するものは、やはり真昆布であるわけです。

 

明治の北海道の大開拓時代までは、こんな状態が続きますが、北海道は「蝦夷地」。

広域的に開発が進んでいなかったことが主な理由です。

この時代の物流を端的に表現するならば、若狭湾への海運と、京都へ至る、真昆布流通の時代」と言えるかと思います。

 

 

時代を進めまして

【江戸中期~明治時代、北前船の頃】

北海道の産物の本州への大量物流、その時代の幕開けは北前船によるものです。

西廻り航路が開発された江戸時代の中期以後は、北海道の産物は、大量に大阪へ直送されるようになりました。

逆に言えばこれは、先にご説明した【江戸時代前期まで】で物流の主を為していた「若狭と京都の時代」の衰退を意味します。 

この時代以後、日本の昆布流通は、大阪が握ることになったわけです。

品種としては引き続き、道南地方の真昆布や、日高地方で産する三石昆布(通称、日高昆布)、更に釧路近辺の長昆布などでありました。

道北地方や知床まで、開発が進んでいなかったことが理由です。

つまり真昆布の流通が、【江戸時代前期まで】は「若狭と京都の時代」であったわけですが、【江戸中期の北前船の時代】以後は、「大阪の時代」となったわけです。

(産地の代表者が大阪の仲買人に宛てた売買契約の証文。明治15年のもの。南茅部漁協川汲支所寄贈品。大阪昆布ミュージアムにて展示中。)

 

【明治の北海道大開拓時代以後】

昆布の産地である北海道は、江戸時代までは「蝦夷地」、言ってみれば外国のようなものです。

アイヌの方々が暮らす北の島であったわけで、日本人の影響が十分に及んでいたのは真昆布を産する道南地方だけです。

その後、明治の開拓時代になり、北海道全域まで日本人の手が及ぶようになるわけです。

例えば、羅臼昆布を産する羅臼町富山県から大量の開拓移民が入植したことから、富山への羅臼昆布の流通が増えることになります。

更には、北海道の北の果ての稚内周辺や、その西岸に位置する利尻島礼文島にも開発が及び、そこで産する「利尻昆布」の流通も盛んになりました。

物流ルートにしても、明治30年頃には、鉄道網の発達により北前船の時代も終わりを迎えます。

つまり、明治の後期からは、品種にせよ物流ルートにせよ、多様性のある時代になったのだと思います。

 

おさらいしてまとめますと

【江戸時代前期まで】

◆物流ルート:産地から日本海を南下。「若狭湾→琵琶湖→京都」。

(若狭と京都の時代)

◆品種:真昆布(初期は主に青森県産)

 

【江戸中期、北前船以後】

◆物流ルート:北前船が大量の昆布を積み日本海を南下。西廻り航路で直接大阪へ。

(大阪の時代)

◆品種:真昆布が主

 

【明治の北海道大開拓時代以後】

◆物流ルート:明治中期以後は、鉄道網の発達により海運時代の終焉。

◆品種:北海道全域の様々な品種(利尻昆布羅臼昆布を含む)

 

まずこの、流通の変遷と昆布品種との関りを、是非ご理解下さい。

 

 

【大阪のだし文化が特別である理由】

昆布には、様々な品種があるわけですが、一般の方が目にすることの多い、代表的品種で申しますと、「日高昆布」、「利尻昆布」、「羅臼昆布」、真昆布」、以上の4種でしょう。

これらの品種は、特にそれを珍重する特定の消費地と、強く結びついています。

 

例えば、1980年代まで一人あたりの昆布購入量が全国一位だった沖縄県

沖縄では「海の野菜」として昆布を食べることが多く、その用途に適した「日高昆布」、又は似た特徴をもつ「長昆布」が多く利用されてきました。


本州に目を移しまして、こちらも昆布文化の非常に根強い地域、富山県

富山では、「羅臼昆布」が人気です。

江戸末期、富山県から多くの開拓移民が羅臼地方に渡ったことが関係しているのでしょう。

現在でも羅臼町民の7割以上が富山県にルーツを持つ方だと言われています。

 

京都では、特に料理人さんの世界で顕著ですが、利尻昆布が人気であるようです。

それに対して大阪は、「真昆布文化圏」と呼んで良いほど、昔から真昆布を珍重した地域でした。


 おさらいしますと、ざっと次のようなの関係です。
   『日高昆布と沖縄』、 『羅臼昆布と富山』
  『利尻昆布と京都』、 『真昆布と大阪』

さて、以上を踏まえまして、大阪の出し文化。

「だし」は日本中でとるでしょうし、何なら海外でも各国のだし文化ぐらいあるわけです。

それなのに、「大阪のだし」が特殊な価値をもつ理由は、前述の「真昆布」に他ならないわけです。

他の品種の昆布も素晴らしいですし、良いだしが取れるのですが、真昆布は昔から常に最高級品だと見なされてきたわけです。

この真昆布こそが、「大阪のだし」を支えたものに他なりません。

そしてこれは前段でご紹介した通り、流通の歴史も関係し、広く日本中に流通したわけでなく、特に珍重する大阪で大部分が使われてきたわけです。

真昆布の価値については、過去投稿「真昆布偏愛」で詳しく説明していますので、ご参照下さい。

konbudoi4th.hatenablog.com

「大阪のだし」が特別である理由、それは「真昆布の独占的利用の歴史」に他ならないわけです。

 

 

【ライバル不在、今こそ武器を拾え】

こんぶ土居には、日々多くのお客様が来店されますが、私共の店頭でも「やっぱり利尻昆布が高級なんですか?」というお声に、何度も遭遇します。

それは、「大阪のお客様であっても」です。

なんと嘆かわしい。

地元の文化への理解が非常に浅いことを端的に示す事例です。

いつの時代からか、京都の料理人さん達が盛んに利尻昆布のことを発信しましたから、そんなイメージがついたのでしょう。

いやはや、伝統文化に関しては、京都の影響力は絶大ナリ。

 

しかし、よく考えてみてください。

「千年の都」と謳われる京都。

794年の平安遷都から1868年の東京奠都まで、都であり続けたわけです。

前段の【昆布ロード】を振り返っていただくと、都であった「794年から1868年」どの期間を取っても、京都も真昆布文化であったはず。 

 

あれれ?おかしいですねぇ。

これは一体、どういうことでしょう。

 

いつの間にか、「真昆布文化の京都」から「利尻昆布文化の京都」へ、すり替わっているわけです。

つまり、都であった時代の「京都における伝統的真昆布文化」を、どこかで捨て去ったことを意味しているわけですが、そうなった理由は「意図的に捨てた」または、「捨てざるを得なかった」のどちらかです。

私は後者であろうと考えています。

 

その理由こそが、前段の【昆布ロード】【江戸中期、北前船以後】でご説明した歴史です。

江戸初期までは大阪の上流に京都があったのに、北前船の時代以後は、大阪に真昆布が集まるようになってしまったわけです。

増してやその時代は、食い倒れの大阪が非常に強い経済力を発揮していた時代。

良い真昆布が京都に入りにくくなるのは、自明の理です。

 

そうこうしているうちに明治になり、時代が変わります。

前段でご紹介した

 

【明治の北海道大開拓時代以後】

◆物流ルート:明治中期以後は、鉄道網の発達により海運時代の終焉。

◆品種:北海道全域の様々な品種(利尻昆布羅臼昆布を含む)

 

に移っていくわけです。

北海道全域から多品種の昆布が流通し始めるなかで、利尻昆布の利用も拡大していったのでしょう。

利尻昆布も、良い品質の昆布です。

美味しい出汁が引けます。

「その味が好きだから使う」というのであれば、非常に結構かと思います。

しかし昔から、最高級品と謳われてきた昆布が「真昆布か利尻昆布か」と問われたならば、答えは確実に前者です。

それは、先にご紹介した過去投稿「真昆布偏愛」でご説明している通りです。

京都の方には申し訳ありませんが、利尻昆布とは、「真昆布を大阪に握られてしまったことを背景に、京都の人が代用品として使ったもの」と表現できるかも知れません。

 

繰り返しますが、利尻昆布も良い品質です。

しかし、この段の冒頭でご紹介しました通り、ここ大阪でも「やっぱり利尻昆布が高級なんですか?」なんて声が多く聞かれる現状は、大変におかしなことだと思っています。

無理解も甚だしい。

 

さて、これまで私がご説明した歴史のストーリー、京都の方々が聞けば、どんな感情になるでしょうか。

あまり愉快な話には聞こえないでしょうね。

例えば、昆布のことについて京都の料理人さんが語るに際し、「大阪に良い真昆布を取られたから、私たち京都人はしょうがなく利尻昆布で代用してます」なんて、言うわけがないですよね。

日本の伝統文化を担う京都のプライドとして、「利尻昆布が一番おいしいから使っていますっ!!」って言うに決まっています。

それはもちろんご自由です。

その方がそう感じられたのであれば、非常に結構だと思います。

しかし、なんでもかんでも「京の都の伝統」と結び付けて語る傾向のある京都。

利尻昆布を、京の都の時代の伝統や北前船と結び付けて語る文脈があるとすれば、それは明確にウソであることは、これまでの内容を読んで下さった方ならご理解いただけるでしょう。

「京都の利尻昆布文化」と「大阪の真昆布文化」、この両者を比べますと、明らかに後者の方が「歴史、伝統」が長いのです。

 

しかし、「京都は利尻昆布なのだ」とのブランディングの発信は、ある意味大阪にとっては好都合であると取れなくもないのです。

京都が勝手に「京の都の時代の真昆布の伝統」を捨て去って、土俵から降りてくれたわけです。

こうなれば、古来より最高級品と謳われた真昆布文化は、大阪の独壇場。

タイトルの【ライバル不在、今こそ武器を拾え】の意味、ご理解いただけましたでしょうか。

 

地元大阪でも、特別な価値を持つ「大阪伝統の真昆布文化」について、大阪人自身が理解していない現状。

私共で「大阪昆布ミュージアム」をつくったのも、それを解決したいとの願いからでした。

 

 

【立ち上がれ大阪人よ!】

さて冒頭より、大阪の嘆かわしい現状についてご説明して参りました。

これをなんとかしたいと感じている大阪人は、私だけではないはずなのです。

しかしこれまで、必要なアクションが十分であったかと言えば、決してそうではありません。

そろそろ、「我がまち大阪を何とかしたい」という有志が立ち上がる必要があります。

停滞した大阪の時代から、正しい大阪文化の発信の時代へ。

「有志よ、集え!!」。

次の段落では、私が勝手に「大阪料理と真昆布、反撃チーム(仮称)」の人選について考えます。

(リストアップした方々には、現状では何の了解も得ておりません。私が勝手に書いているものです。)

 

 

 

【勝手にメンバーリストアップ】

個人や団体のお名前を出す前に、ジャンル分けをしますと『料理界』『公的機関』『ジャーナリスト』『昆布業界』『その他』といった感じでしょうか。

 

まずは『料理界』からは、大阪料理会の方々、辻調理師専門学校土井善晴さん、を挙げさせていただきます。

「大阪料理会」とは、大阪の一流の料理人さんが集い、共に学ぶ研鑽の集まりです。

osakaryourikai.com

このメンバーの中でも特に、「柏屋」の松尾英明さんと、「雲鶴」の島村正晴さんは、昆布の未来のために特別な尽力をいただいています。

その内容は、下記の過去投稿をご参照下さい。

konbudoi4th.hatenablog.com

 

 

その他に、「大阪料理会」と言えば、やはり上野修さんのお名前を挙げないわけにはいきません。

「浪速割烹 㐂川」のご主人として、お弟子さんのお店や孫弟子さんも含め、「㐂川一門」の大阪の料理界における存在感は絶大なものです。

修さんは今年、黄綬褒章も受賞され、ご活躍は公的にも認められているところです。

そもそも大阪料理会は、お父様の上野修三先生が発足させたもの。

大阪の料理界に上野修三さんが居なかったとすれば、どんな惨憺たる状態になっていただろう、と思うほどに、特別な役割を果たされた生きる伝説です。

 

 

全国的に名が知れた辻調理師専門学校も、大阪が発祥なのです。

私個人的には、過去に多く関わらせていただいたわけではありません。

それでも、辻調さんの一部門「辻静雄料理教育研究所」の山田研所長には、過去に拙著「捨てないレシピ、だしがらから考える食の未来」を全教職員の方への推薦図書として周知していただきました。

現在の真昆布の窮状についても理解して下さっています。

なんとか辻調さんにも、ご賛同いただけると良いのですが。

 

 

更には、土井善晴さんです。

特に近年は、ご著書「一汁一菜で良いという提案」が大ベストセラーになり、特別な存在感を発揮しておられます。

お父様の土井勝さんの時代から、大阪でお仕事をしてこられました。

現在は拠点を東京に移しておられますが、いつもコテコテの大阪弁でお話になっているのを拝見し、大阪愛を勝手に感じています。

 

 

次に、『公的機関』からは、大阪観光局と大阪ガスさんを挙げます。

観光局さんも昆布と大阪文化のことについては、十分に理解して下さっているのです。

コロナウイルスパンデミックの時期にしばらく間隔が空きましたが、過去には何度も共にイベントを開催してきました。

先月も、大阪市姉妹都市であるアメリカのシカゴの有名ジャーナリスト、スティーブ・ドリンスキーさんを、大阪昆布ミュージアムへお連れ下さいました。

大阪の「都市格」の底上げを願っておられるのは間違いありません。

 

 

大阪ガスは、インフラ企業ですが、食育活動に非常に熱心に取り組まれてきました。

network.osakagas.co.jp

私共でも、過去に何度か協力させていただきました。

名前は「大阪ガス」でも、ガスを供給しているのは近畿一円ですので、お立場的にどうか分かりませんが、協業できるところがあれば嬉しいです。

 

 

続きまして、『ジャーナリスト』部門。

あまから手帖、門上武司さん、団田芳子さん、北村博子さんを挙げます。

 

関西の「食マガジン」と言えば真っ先に名前が挙がる「あまから手帖」。

過去に私共のことも何度も取り上げて下さいました。

前編集長の中本由美子さんが率いるウェブマガジン「WA・TO・BI」でも、「昆布はどうなる」と題し熱心に発信して下さっています。

今年の7月には、真昆布の窮状の現場取材も、大変な深さで実施して下さいました。

watobi.jp

こちらも、大阪のことばかりでなく関西の食についてのお仕事ですから、お立場的にどうか分かりませんが、是非ご協力いただきたいです。

 

 

そして、関西の食ジャーナリストの第一人者、門上武司さんも外せないお一人かと。

こんぶ土居との直接の関りは意外に少ないのですが、前述の拙著も読んで下さいました。

何しろ影響力の強い方ですから、ご協力いただきたいです。

 

 

そして、私と同じ想いを抱いていること保証付きの、関西の名物フードライター「団田芳子さん」。

先にご紹介した「WA・TO・BI」の「昆布はどうなる」でも、取材して文章を書いて下さっているのは団田さんです。

特に団田さんは、過去に御著書「大阪名物」を発行され、ベストセラーになりました。

https://amzn.asia/d/gTYrBd2

この本の趣旨は、今回の私の想いと同じなのです。

食の都だと言いながら、空港や新幹線の駅で京都の和菓子や神戸の洋菓子ばかりが売られている現状を嘆き「大阪にも、ええもんいっぱいあるんやー!」ということを世に知らしめるために書かれたわけです。

必ずや協力して下さる方のお一人です。

 

 

そして、産経新聞の北村博子さん。

この方なくして昆布の正しい報道は考えられない、と思うほどに、ずっと素晴らしい記事を書いて下さっています。

今では、天然真昆布の問題を知る方も多くなりましたが、ほとんど報道が無かった令和元年当時、12月28日の一面で大きく「大阪のだし文化揺らぐ」と題した記事を出して下さいました。

この記事は、これまで何度引用させていただいたか数え切れないほどです。

それ以後も、何度も報道して下さっているわけですが、実は今回の私のこの行動も、北村さんの助言によるものなのです。

 

 

 

次に、『昆布業界』。

大阪昆布商工業協同組合と、昆布大使さんです。

昆布業界には、全国組織としての「日本昆布協会」が存在しますが、その大阪地域版が「大阪昆布商工業協同組合」です。

現在の理事長は、大阪で170年の歴史を誇る老舗「小倉屋大阪戎橋筋」の池上社長ですが、池上さんとは年齢が近いこともあり、ある意味気心のしれた間柄。

秋の「真昆布フォーラム@北海道南茅部高校」から帰阪した後、池上さんと食事をしながら、今後のことを相談していました。

 

「昆布大使」とは、昆布に関する情報を発信したり、イベント等のPR活動をする、有志の集まりです。

日本昆布協会が認定しています。

kombu.or.jp

このサイトには、昆布大使さんのリストが出ていますが、「大阪府」の項目で7名の方のお名前が出ています。

中でも、宮谷有希子さんは、今年大阪昆布ミュージアムで共にイベントを開催しました。

また、先に大阪ガスさんのことについて触れましたが、大阪ガスの食育活動を主導的に進めてこられたのは、隣県の兵庫県の欄にお名前が見える「大石ひとみ」さんです。

現在は大阪ガスを退職されていますが、これからも昆布大使としての活動は続けていかれるご意向です。

 

『その他』としまして、熊谷 真菜さん、澤田充さん、山根秀宣さん、更に、都市型観光ホテル「OMO7大阪ホテル by 星野リゾート」を挙げます。

 

熊谷 真菜さんは、世界のコナモン文化の普及と継承を目的に設立された「コナモン協会」の会長です。

コナモン協会」発足の動機は、たこ焼きについての興味からであったそうですが、その美味しさの背景に「昆布だし」があったことも、度々発信して下さっています。

 

澤田充さんは、街づくり企業「ケイオス」の社長で、食に関する事業も多々展開しておられます。

お仕事の比率で言えば、やはり東京の方が多いのではないかと思いますが、非常に大阪愛の強い方です。

今年発行されたご著書には、江戸以後の大阪の食文化について、以下のように書かれています。

抜粋致します。

『この土地の食も富裕層の中で発展した。そして富裕層を満足させる料理の根幹が、昆布出汁であった。そんな必然を背景にして、大阪人は当時もっとも高級品とされた真昆布を買い占めた。 (中略) 一方、当時から京都は利尻昆布を使っていた。ここでは詳述しないが、真昆布と利尻昆布のポジションの歴史を一度見直してみて欲しい。』

 

これは正に本日の投稿で長々とご説明してきた内容そのものです。

社会的に影響力の大きい澤田社長には、ぜひ様々にご助言いただきたいところです。

 

 

山根秀宣さんは、「大阪まちプロデュース」という組織を運営しておられ、常々大阪のまちづくりに関する提言をしておられます。

定期的に発行しておられるメールマガジン「omp通信」を私も拝読していますが、その膨大な知識量には、驚かされるばかりです。

「大阪の価値の向上」ということで言えば、この方も非常に強い想いを持っておられます。

 

「OMO7大阪ホテル by 星野リゾート」さんは、宿泊施設であるのですが、お取組みが特殊です。

その事例が下記の、「なにわってなんやねん講座」です。

hoshinoresorts.com

曜日によって内容は変わるのですが、火曜日には「大阪うまいもん文化」と題した内容を開催しておられます。

これを担当しておられるのが、前述の辻調理師専門学校で長く指導してこられた「谷口博之先生」。

谷口先生とは直接の面識はありませんが、実は過去に一度このイベントを聞きに行っていまして、真昆布のことも内容に含めて下さっていました。

現在の天然真昆布の窮状を谷口先生にも是非知っていただきたいです。

ちなみにこのイベントの開催場所は、ホテルのレセプション横のスペースでして、宿泊者でなくても聴講可能です。

その場所は同時に、大阪文化に関する書籍を並べたライブラリースペースでもあるのですが、拙著「土居家のレシピと昆布の話」と「捨てないレシピ だしがらから考える食の未来」、両方とも置いて下さっています。

前述の上野修三さんの本も、たくさん並んでいます。

 

 

以上、勝手にお名前を挙げさせていただきましたが、私と何らかの関係のある方々が主です。

他にも、良い役割を果たしてくださる方は、多々おられるでしょう。

多くの方と共に、未来を考えたいです。

組織化したいと思っています。

 

 

【産地との連携】

さて、そろそろ今回の投稿も終盤です。

大阪の食文化と真昆布の価値、問題点について書いてきましたが、それは「正しく伝わっているとは思えない」からです。

この問題意識は、実は真昆布産地でも同じなのです。

行政単位で申し上げれば、函館市です。

昔から最上級品としての名声を得ていながら、それが全国的に知られていないことを、函館の方々も嘆いておられます。

つまり、大阪と函館の願いは同じなのです。

そうなれば、当然協業すべきでしょう。

 

これまで私は、常態化した天然真昆布の不作や、今後の生産者の高齢化、後継者不足、そういったことを解決するため、度々北海道へ足を運んで活動してきました。

そういったことも関係してか、産地にて良い動きが出始めています。

今年の真昆布フォーラムには、函館市の大泉市長まで視察に来て下さいました。

市長も、本当に前向きに取り組んで下さっています。

 

これまでの歴史も踏まえて函館と大阪が協業することで、必ずシナジーが生まれます。

大阪側も、行政も含めてよく考える必要があります。

これまでの「文化発信の弱い大阪」が、このままで良いのかどうかを。

 

【まとめ】

今の時代、何もかもが東京に一極集中し、それぞれの街の価値が置き去りになっているように思います。

足元にあって慣れ親しんだものが「特別に見えない」のは当然で、それ故に軽視される傾向が強いと思います。

しかし、そこには本当に大きな価値があるのです。

一旦失ってしまえば、もう取り戻せないでしょう。

 

私が申し上げたいのは、簡単なこと。

「大阪人であれば、大阪に貢献せよ!」、それだけのことです。

当たり前のことを言っているだけです。

さぁ、立ち上がれ大阪人よ。

新しい大阪の未来のために。

 

(了)

 

(追記、コメント欄ご覧ください。正しい理解をして下さっている方の存在、本当に有難いです。